恋愛ワクチン 第百十四話 善と悪(19)

菜緒ちゃんを使って私は色々な遊びをした。
その一つに「公開セックス調教」というのがある。
場所はいつもの混浴温泉。
普通のお客さんから苦情が出てはいけないのでそこは気を遣うが、常連のワニさん(単独男性客)たちが雰囲気を読んで「今日は大丈夫」とか「今日はちょっとまずい」とか教えてくれるので助かる。
どんなことをするかというと、まずは菜緒ちゃんの手を引いて男性用の脱衣所に連れて行き、皆で服を脱がす。
そして全裸の菜緒ちゃんを温泉の縁に立たせ、両手を後頭部で組ませてあそこを晒したポーズでくるりと一周回らせて動画撮影。
ついで手と口で奉仕させて私のペニスを勃起させ、それからワニさん達に手伝って貰い、菜緒ちゃんを仰向けにして一人が頭を、二人が開いた両脚を左右から抑えつけ、私が正常位で挿入するというものだ。
他の人たちは周りに集まって「おおー入っちゃったよ」「いやらしい娘だねー」などと言葉で辱める。
そんな遊びを繰り返しているうちに、菜緒ちゃんに対して他の女の子たちには感じない独特な感覚が自分の中で生じているのに気付いた。
それは「所有欲」だ。
何度も書いているが、私はおよそ嫉妬や独占欲というものが希薄な人間である。
菜緒ちゃんに対して愛情を感じて独占欲が生じたのだろうか?
違う。
それは断言できる。そんな良い話ではない。
そもそもが独占欲では無い。「所有欲」だ。
スポーツカーや宝石を欲しがるような感覚。
もっと卑しく言えば、子供がおもちゃを欲しがる感覚に近い。
それで、どうしてそういう感覚が生じたのかを考えてみた。
菜緒ちゃんはおよそ嫌がるということをしない。
菜緒ちゃん自身が性欲が強くて私のこういった変態的な遊びで興奮しているというわけでも無い。
何をすれば私が喜ぶのかを察して、自分から先回りしてそういう娘を演じてくれている。
そこに菜緒ちゃん自身の「自我」を感じない。
ところどころで微かな自我のようなものを感じはするのだが、未発達なのか萎縮してしまっているのか、とても薄い。
一方、他の女の子たちには自我がある。
だから私は所有欲を抱かない。
解説すると、その娘に自我がある限り、その娘の体は本人の自我のものだ、そういう他人への敬意のような気持ちが私には強い。
自分が他人の物に手を付けて良いわけがない。だから所有欲が沸かない。
しかし菜緒ちゃんには、自我を感じない。言ってみれば精神が空席なので、それならばそこを自分の領土とすることが出来そうだ、そう考える。
誰も所有していないのなら、俺のものにしてやろう。そういう欲望がメラメラと燃え上がる。
これが所有欲だ。
私を含めて、こういう感覚を持つ男に碌な人間はいない。
いわゆる「断れない娘」を見つけ出し、精神的に支配して欲望のままに弄ぶ、そういう関係性を作るというのはこういうことだ。
「自他境界」という言葉がある。
ASD(自閉スペクトラム症)で出て来る用語なのだが、他人との境界が曖昧な人たちがいる。
大きく分けて「自分の領域を他人にまで広げる」タイプと「他人の領域を自分にまで広げる」タイプがある。
前者は自分の考えを他人に押し付ける行動となり、後者は逆で菜緒ちゃんのように過度に相手に合わせてしまうため「自我」が存在しないように見えてしまう。
菜緒ちゃんの話を聞く限り、菜緒ちゃんの母親が「自分の領域を他人にまで広げる」タイプであったようだ。
それで菜緒ちゃんが押されて「他人の領域を自分にまで広げる」タイプに育ってしまったのかもしれない。
そのため、他人の欲望を感じると、それに応じてしまう。
なんなら先回りして、その他人が求めている人格を演じてしまう。
これが繰り返されれば、本来存在するはずの自我が傷付いてしまうだろう。
それで自我が喪失して解離が起こる。
もしそうであるならば、菜緒ちゃんに必要なのは、自我を育ててやることだ。
自分はどうしたいのか、行動の一つ一つにおいてそれを考えさせる。
お金に関して、菜緒ちゃんの自他境界の薄さを感じさせるエピソードがある。
私からお金を貰うと、菜緒ちゃんは帰り道でお店に立ち寄って、店員に勧められるままに服などを買ってしまうらしい。
この「勧められるままに」というところが自他境界の欠如だろう。
また前に記したが、次に私と会う時のために2万円分のラブコスメ(ローションなど)を買ったり、私にブランドものの下着を買ってきてくれたりもする。
さらには、道端で募金している人にふらっと何万円かを差し出してしまうこともあるようだ。
「損得勘定」が出来ていない。
過去のコラムでラインのやりとりを記したように、知性は持ち合わせている。決して頭の悪い娘ではない。
それでお手当の渡し方に一工夫することにした。
5万円のうち4万円を透明ポリエチレンの袋に入れてヒートシールした状態で渡す。


マックさん「この4万円は、今の菜緒ちゃんにあげるんじゃなくて、すっかり回復して良くなった将来の菜緒ちゃんにあげる分だから、袋を破ったらだめだよ。一万円だけは裸であげるから、買い物はこれで済ませなさい。これに限らず、働いて手にしたお金は2割はご褒美で自由に遣っていい、だけど残りの8割は貯金すること、そういう習慣を身に付けると良いよ」

こういった、普通の人であれば自然と身に付けるバランス感覚を、後付けでひとつひとつ教えていく必要がありそうだ。
ただ一つ気になることがある。
菜緒ちゃんの魅力そのものが、この「自我の乏しさ」から出来上がっているという点だ。
この娘が回復して、自他境界が明確になり、損得勘定がちゃんと出来るようになったとき、誰よりも私自身がこの娘に魅力を感じ続けられるだろうか?
菜緒ちゃんの魅力は、こちらの好きなようにさせてくれる、こちらが望んでいることを先読みしてそれに応じた人格になって応えてくれる、まさにそこにあるからだ。
自分の意思や好き嫌いでもって、イエス・ノーをはっきり言えるようになった菜緒ちゃん。
確かに、菜緒ちゃんの心を支配して「所有」しようとする悪い男たちは寄ってこなくなるだろう。
そのとき、菜緒ちゃんは誰かから愛されるだろうか?
そのためには、菜緒ちゃんが、本来の人間としての魅力を磨いていく必要がある。
いろいろ課題は多いが、方向性としてはそういうことだ。
善と悪の話に戻ろう。
こういったことを考え、気付いて菜緒ちゃんに教えてあげられるのは、私自身が「悪」の側面を持つからだ。
悪人でなければ、悪人の心は判らない。
だから悪人でなければ成しえない善は存在する。
―この世界には、善意から生まれる悪意がある。悪意から生まれる善意がある (コードギアス)―
(続く)

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