宇宙倶楽部女子との旅 後篇その2(最終話)

カンボジアの憂鬱】 

 充実した一日だった。しかし改めて気がつくのは我々四人の中でジョーだけが間もなく還暦を迎えようとしている50代だということだ。だから途中休憩を挟んだ日程であっても他の3人とは肉体的疲労度が全く異なる。
 ホテルに着いたときはホウホウの体だった。確かに充実した一日で満足感も大きかったが、着ているTシャツは汗で背中に張り付き、暑さで頭がフラフラする。1番の望みは1秒でも早くTシャツを脱いで、水を張ったバスに飛び込み、その後は立て続けに何杯かビールをやっつけることだ。
 大輔はそんなジョーの心根を見透かすように魅惑的な提案をしてきた。シャワー代わりにプールでひと泳ぎしないかというもので、食事はルームサービスにして部屋で気兼ねなく食べましょうと。
 悪くない提案だ、いや望むところと言った方が正確だ。ジョーたちの部屋の方が広いので、ひと泳ぎした後、集合はジョーの部屋ということになった。
 ジョーはサワコを急かせて部屋に帰り、汗でベトベトになったTシャツをランドボックスに投げ入れサッとシャワーを浴びた。体を拭くことなく早速水着に着替えると、一番最初にプールに飛び込んだのだった。全身を冷やすためにもプールの底まで潜り込み、そして顔を出す。これを何回か繰り返したところで、ようやくひと心地ついたが体の芯はまだ今日1日の日差しによる熱を帯びていた。
 ジョーに続いて大輔、ルイちゃん、サワコがプールに飛び込む。ルイちゃんはベージュの、サワコは水色のビキニ。すでに日は暮れていたが、プールはライトアップされていて、そのライトが二人を魅惑的に映し出す。そしてサワコはジョーのリクエストに応えて再びバタフライを披露。プールサイドのレストランで食事をしている西洋人たちからも歓声が上がった。ひと泳ぎしたところで、男性陣はプールサイドのバーへ、女性陣は部屋のバスに浸かることになり、二人はジョーたちの部屋に消えていった。
 プールから上がりすぐそばにあるバーカウンターに大輔と座る。二人ともビールを注文し、乾杯。まずジョーは今日のお礼を言った。
「今日も一日中付き合ってもらってありがとう!Oさんのガイドは素晴らしかったし。君にアテンドを頼まなかったら楽しみ方が全く違っていたと思うよ」
「そう言って貰えるとアテンドのし甲斐がありますね。ただジョーさんはオサムさんからの紹介ですし、学校の先輩でもありますから。」
「年が離れているけど、オサムと知り合ったのはOB会?」
「そうです。オサムさんには凄くお世話になっています」
「うちのOB会はちょっとおかしいからな、良くも悪くもだけど」
「言っている意味は分かります。ただ僕は恩恵を受けたことの方が多いですね。オサムさんと知り合ったのはその一つですね」
 それからは大輔の経歴の話になった。

 大輔は赤門を卒業した後は、役人(キャリア)となり、アジアを中心に勤務したそうだ。留学先はフランスで、留学時代はカンボディア語と文化歴史を学んだ。結果、カンボジアと深く関わる部署を長く担当することとなった。若くして重要な仕事を担当し、やり甲斐も感じていたようだが、人間関係に嫌気がさしたのと役人の限界も感じ、別の世界に進むことを選択したという。退職した後はそのままこの地で今の会社を起こした。 
 ジョーとは全く経歴が異なるから「役人の限界」と言われてもピンとこない。どう考えてもエリートコースだし、若い頃から責任ある仕事を任せて貰えるから、やり甲斐もありそうだけど、というジョーの質問に大輔は言葉を選びながら答えた。
 「確かにそうなんですけど、必ずしも自分が思い描いたような結果にならなくて。でも上司にとって得であれば評価されるんです。それが嫌で嫌で」
「う~む、役人を辞めた理由は何となく理解できたけど、君みたいなエリートがそのままカンボジアで起業するってユニークじゃない?」
「よく言われますけど、僕にとっては自然な流れなんです。それだけ深くカンボジアに関わっていたし、親友と呼んでもいい人間関係をカンボジア人と結んでいたので他の場所で起業するのは考えられませんでした」
「話は少し変わるけど、Oさんのようなポルポト政権下の経験をした人はまだ多いんだよね?」
「50歳以上の多くが何らかの経験をしていますね。僕は元王室の家族だった人からお話を聞いたことがあります。彼女は60歳を超えていますが、ある日突然農場に連れていかれたそうです、それまで箸より重いものは持ったことなかったのに。彼女の話を聞くとOさんの経験談は控えめな方ですね。聞いた話は信じられない事ばかりですけど、何が凄いってポルポト政権はあらゆる文明の利器の使用を禁止した事です」
「うむ?どういうこと?」
「トラックやトラクターは当然使用禁止ですけど、農作工具、例えばスコップや鍬も禁止されました。つまり農作業は基本、文字通り手作業なんです。死者が増えた理由の一つがこの手作業にあります。農地を手で掘り起こすんですから、まあ、怪我しますよね」
「酷い話だな」
「そうなんですよ。カンボジアにはそんな経験をした人がまだまだ沢山生きています。だから当時と比べると現状は食えるだけでもマシだと考える人が少なくないんです。そこが僕には歯痒いところです」
「ところでカンボジアって商売しやすい?」
「答えはNo&Yesですね。不平等と不正が溢れていますし、他の東南アジア同様、賄賂文化です。でも正直に言えば人件費が安いのは魅力だし、賄賂さえ渡せば相当なことができるのも事実です」
「政情は安定しているのかな?」
「微妙ですね。安定しているというより、無理やり安定させているというのが真実に近いでしょう。一党独裁で言論の自由はありません。野党=反体制グループを意味しますから、結党した瞬間逮捕です。こういうのを安定とは言わないでしょう?
 今年、約30年君臨した首相の座はその息子に移譲されました。息子は軍のトップから首相になりました。そしてカンボジア人は50万ドル、今のレートでいけば7500万円を払うとカンボジアの経済倶楽部に入会できます。会員になると国の情報や利権が優先的に与えられるんですよ。さらに様々な便宜を受けることになります。どこの国でも同じかもしれませんが、金持ちがさらに金持ちになるシステムです。その会員数は1000人だと言われていて、つまり1000人がカンボジア経済界を牛耳っているんです。そしてこの倶楽部の胴元が新首相の父親、つまり前首相です。親子で軍隊と経済界を支配しているんですよ。
 こういう状況に僕もカンボジア人の友人も大きな失望を感じています。でも彼らは声を挙げて異を唱えることはできないんです。なんせカンボジアは東南アジアの北朝鮮と言われているんですから。公に反対運動でもしようものなら、即逮捕です。カンボジアで起業しておいて何ですが、その前途は決して明るくないというのが僕の見立てです」
「じゃあ、カンボジアの魅力って何だろう?」
「まずこれは理屈抜きに相性としか言いようがないんですね、僕の場合。ご飯も美味しいし。そりゃあ日本に比べれば、不便なことも多いですよ、インフラは整ってないし、停電もよくあります。プノンペンは治安が良いとは言えません。でも僕はそういうのって全然苦にならないんです。それと役人時代から築いた人間関係ですね。これは良し悪しなんですが、日本の役人って東南アジアや小さな国に対して割と丁寧な対応をするんです。すると自然と人間関係は深くなります。役人の中でも僕は一番丁寧にカンボジア人と接したと自負しています。だから僕には親友と呼べるカンボジア人の友達がいます。彼らは僕の宝物なんですよ。
 一方で欧米の役人って高圧的な連中が多くて未だにここを自分たちの植民地だと思っている輩が少なくないんです。だから僕とカンボジア人の関係が信じられないみたい。彼らは『奴らに少しでも甘い顔を見せたらダメだ』とはっきり言い切ります。ある意味、爽やかなくらいに。と同時にそういう言葉を聞くと『こいつら未だに自分たちこそ真の宗主国だと思っているんだな』と軽蔑したものです。
 でもね、いろいろ経験して、今になって思うのは彼らの言い分は一面で真実だなということ。その点僕なんかはカンボジア人の人間関係にどっぷりハマって抜け出せなくなっているんですから。まあこれが僕のやり方なんで奴らみたいにはできないですけど」
 大輔は随分年下だけど、ジョーとは比べものにならないほど経験値が高い。どの話も興味深く耳を傾けた。聞けば聞くほど、将来を嘱望されたエリートだったことが分かる。前述したように大輔はフランスに留学している。だから30過ぎで役人を辞める時、上司から「お前に、いくら掛けたと思っているんだ」と嫌味を言われたと大輔は笑いながら話した。

【漢の話 at the poolside bar】
 硬い話が続いたので、そろそろ柔らかい話もしたい。漢同士なら、女の話に限る。
「ルイちゃん、ってすごく魅力的な女性だね、とっても仲良さそうだね、ちょっと羨ましい」
「いや、彼女とは相性が良いって自分でも思いますよ、いろんな意味でですけど」と大輔は下卑た笑いを浮かべる。
「だろうね(笑)。付き合いはいつから?」
「役人辞めた直後だから、5年前ですね。一応、公の場では「彼女」として紹介してますけど、お互いを恋人同士とは思ってないんですよ。僕も彼女を、束縛しないし、彼女も束縛をしない。まあ、ちょっと仲の良いセックスフレンドですね」
「それって理想じゃん(笑)。ますます羨ましくなった。でもなあ、君らの様子を見ているととても単なるセックスフレンドには見えないけど。いつもいちゃついているし、あらゆる場所で一緒に写真撮って。共通アルバムまで作ってるじゃん。セックスフレンドでハメ撮り以外の共通アルバム作ってるって、聞いたことないよ」
「いや、僕らもハメ撮りなら負けませんよ」といって笑い、二人の会話に少し間があいた。そして大輔はちょっとだけ真面目な顔になって再びしゃべり出した。
「ジョーさん、僕、彼女とどうやって知り合ったか言いました?」
「いや、でも彼女が日本で働いている時に知り合ったんでしょ?」
「場所はそうですけど、彼女とは出会い系アプリで知り合ったんですよ」
「意外だとは思うけど、それほど驚かない。利用者も多いしね。オサムから聞いてると思うけど、俺もサワコと知り合ったのはそういう場所だよ」
「でも、モノには限度というものがありますよ」
「そんなにヘビーユーザーなの?アプリの」
「かなりだと思います。ルイは文字通り世界を股に掛けてるんです」 少し冗談めかしての告白?だったが、大輔は寂しそうに笑った。
「それをいうなら、大輔もそうだろう?オサムが言っていたぜ、相当のヤリチンだって(笑)」
「(苦笑)。否定はしません。でも真の恋人にするなら、大和撫子じゃないと好きになれません。サクラが僕の理想です」
「サクラってどのサクラよ」
「当然、寅さんの妹ですよ」
 吹き出しそうになった(実際、ちょっと吹き出した)。冗談かと思ったが、大輔は笑ってないのでそうではないようだ。
「笑わないでくださいよ」
「ごめん、ごめん。でも我々の世代ならともかく、君の年齢でサクラが理想って、笑わずには聞けないよ」
 しばらくはサクラというか大和撫子談義になった。ジョーの見解は大和撫子=「日本の昭和男子が作り出した幻想」だが、大輔は「寅さんの妹のように確かに存在する」と言って譲らない。結局話し合いは平行線を辿り、ジョーが「そろそろ部屋に帰ろうか」と言ってお開きになったのだった。

裸の付き合い】
 部屋に帰るとテーブルに注文した品々が並んでいる。その中央にはワインクーラーに入ったシャンパンが2本鎮座している。でもサワコもルイちゃんもそこには居ない。すると我々の気配を察したサワコがバスルームから声を掛ける。
「今、ルイちゃんとお風呂に入ってるのよ。二人ともこっちにおいでよ。あっシャンパンとグラス持ってくるの忘れないでね」 
 ジョーがシャンパンクーラを大輔が両手にグラスを二つずつ持ってバスルームへ行くと驚いたことに二人とも裸で向かい合って湯船に浸かっている。カンボジア産の御影石でできた縦長の風呂は四人で入っても足を伸ばせくらいに広かった。
「お風呂に入るのに水着は脱ぎなさいよ」
 サワコと二人なら躊躇しないけれど、ルイちゃんにジョー自身が小ぶりなのがバレるのはやっぱり恥ずかしい。でもサワコの命令に刃向かうことは許されていないので、まずはワインクーラーを風呂の淵に置き、手で前を隠しながらサワコの隣りに座った。ルイちゃんもサワコも半身浴だったからそのバストが顕になっているが、ジョーの小ぶりのそれが湯の中ではっきりと見えないのはせめてもの救いだ。大輔がそれぞれにグラスを渡し、シャンパンを注ぐ。そして乾杯。風呂の中で、美女共に飲むシャンパンはいつもより美味しく感じる。だから杯が進み、すぐに1本目のボトルが空になった。空きっ腹にビールだけでなく、シャンパンも入れたから酔いが廻るのも早い。ジョーは酔っ払うと呂律が回らなくなる傾向があるが、英語の場合はむしろ発音が滑らかになり、日本語より遥かに意思の疎通がスムーズになる。「俺ってこんなに英語がうまかったっけ?」と内心思いながら4人での会話を楽しんだ。
 嬉しかったのはサワコが今日のツアーを楽しんでくれたこと。アンコールワットの素晴らしさを何度も繰り返し、それにルイちゃんも相槌を打ったので、ジョーとしてもホッとした。ルイちゃんは続けて「Oさんの話にはびっくりした。カンボジアの歴史を全く知らないのはカンボジアのホテルで働いている身としては恥ずかしい。勉強したい」と言ったのもジョーを驚かせた。ルイちゃんは単に世界を股に掛けているだけでない知的な女性でもあるのだ。大輔が惚れるのも分かる気がする。
 いずれにせよみんなが満足できたのは大輔のアテンドのおかげだし、Oさんの案内のおかげでもある。
 風呂の中で、時々、大輔かルイちゃんのどちらかわからない足が、触れる。その度ごとに「opps!」と自然に英語が出てくるくらいにジョーは酔っ払っていた。目の前では大輔とルイちゃんがキスを繰り返すし、サワコの手がジョーの股間に伸びてくるし、このままでは不測の事態になる恐れがある。そこでシャンパンボトルと4人のグラスが空になったところで、ジョーが声をかけてバスルームから出てリビングに移動した。

【リビングで宴の続き、そして…】

 バスルームから出た後は、バスローブに着替えて席に座り、改めて乾杯。目の前の料理に舌鼓を打ちながら話の続きに花が咲いた。
 基本英語の会話だけれど、ルイちゃんはアラビア語(多分)で呟くことがあり、大輔に話し掛ける時は彼の一番得意な外国語であるフランス語を使うことが多くなった。女子トークはもっぱらマンダリン。マンダリンを使う時の二人の表情からして英語やフランス語、日本語にできない内容なのは明らかだった。それならと僕らも大輔と日本語で漢の話の続きをしたいけれど、サワコに聞こえると都合が悪いから、言葉を選びながら大和撫子談義をしていた。
するとサワコが
「日本語で話さないで英語で喋りなさいよ」と自分達はマンダリンを使っていることは棚に上げチャチャを入れる。
「漢の話は翻訳できないよ」とジョーが控えめに反論した時、事件は起こったのだった。
 「ダイスケ、オトコノハナシッテ、ドンナハナシヨ!」
とイントネーションにはやや癖があったが、ルイちゃんがなんと日本語で詰め寄る。大輔を見ると、フリーズして言葉が出てこないようだった。なぜならこの2日間、我々はルイちゃんに聞かせられない話は日本語でしていたが、それを全部理解していることを意味したからだ。いや、大輔にとってはこの2日間のことだけではない。ルイちゃんの日本語能力はかなりのレベルにあることを大輔は本当に知らなかったようだ。
「ルイ、日本語わかるの?」大輔は何とか言葉を発したが、明らかに動揺している
ダイスケ、ワタシヲダレダトオモッテルノヨ?セカイヲマタニカケルオンナヨ!」
 この発言によりルイちゃんの日本語能力は想像以上のレベルであることが分かり、大輔を再びフリーズさせたのだった。
 ルイちゃんによればアラビア語(方言を含めると数種類ある)、マンダリン、はマザータング、英語とフランス語はネーティブレベル、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語も理解できるそうだ。大輔と付き合うようになってからフランス語のレベルは格段に上がったそうだ。そしてコロナ中の語学学習で日本語が加わったのだった。
 これはジョーの旅が終わった後の話だが、ルイちゃんの告白?により、二人の仲はグッと縮まったという。その後大輔が帰国した折、東京で2人に会ったが、ルイちゃんの左手の薬指にはエンゲージリングが輝いていた。

【翌朝は再びアンコールワットへ】
 ルイちゃんの日本語レベルがかなり高いと分かってからは基本日本語で会話をした。酔っ払うとジョーの日本語は怪しくなるから、日本語で話し出した後の方がどんな話をしたかよく覚えていない。さらにこの日は四人とも朝からの活動だったから眠気に襲われるのも早く、日を跨ぐ前に、ルイちゃんと大輔は自分の部屋に戻った。ジョーもこれ幸いとサワコが襲撃する前に、夢の中の人となって、連日酷使に悲鳴を上げつつあったジョー自身を救ったのだった。

 翌朝も日の出前にシャワーを浴びるためサワコを起こさないよう静かにベッドから出た。昨夜解散する時、大輔に今日もアンコールワットやまだ見学していない周辺の寺院を案内してくれるように頼んだのだ。女性陣はエステを受けたいとのことだったので別行動となった。
 ロビーに行くとすでに大輔は待っていた。大輔が貸し切ったタクシーに乗り込み、昨日と同じようにチケット売り場を経由して王宮に向かった。
 今日もまた王宮の池の前で外国人旅行者が日の出を待っている。残念ながら今日もまた雲が掛かっていて絵はがきにあるような写真を撮ることはできなかった。しかしそれでもやっぱり早朝のアンコールワットが一番美しい。約1000年前、建築当初は黄金宮だったから今よりもずっと光り輝き、人々を魅了したことだろう。
 16世紀このカンボジアはタイの支配下に入ったことで遷都し、この都は荒廃した。そして19世紀に入り、フランス人探検家に再発見され、世界中にその存在が知られることになった。フランス人探検家とはアンリ・ムオという名で「インドシナ王国遍歴記」という著作がある。事前にジョーは斜め読みしていた。彼はアンコールワットを次のように記述する。

この寺を見ていると魂はつぶれ、想像力を絶する。ただ眺め、賛嘆し、頭の下るのを覚えるのみで、言葉さえ口に出ない。この空前絶後と思える建築物を前にしては、在来の言葉では誉めようがないからである」

160年以上前のフランス人探検家の言葉に加えることは何もない。ジョーも全く同感だ。そしてアンリ・ムオは続ける。

「どのような機構をもってこの無数の巨岩を遠隔の山から運び出し、磨きをかけ、彫刻をした上でこの建物のずっと高所にまた持ち上げたものだろうか(中略)。一方にカンボジア人の無智を思い、一方に彼らの祖先の進んだ文化の所産である遺物を眺めていると、現在のカンボジア人はヴァンダル(ローマ時代の野蛮人)の子孫だとしか考えられない」

「中略」以下の記述は時代を考慮しても侵略者の思い上がった考えであろう。と同時に少なくとも日本からやってきたジョーもまた思い上がった侵略者の一人だろう。ジョーが昨日から考えていたのは、過去のカンボジア文化のレベルの高さと現在周辺に拡がるスラム街との差異をどうしたら理解できるかということだった。

旅は人をエセ哲学者にするようだ。

【アンコールワット周辺の寺院】

 早朝のアンコールワットを堪能した後は、大輔が「ジョーさんを連れて行きたい店がある」というのでローカルフードの店へ。ご飯に豚を乗せた豚丼。甘だれに漬けた豚肉を焼きご飯に乗せただけのシンプルなもので漬物とスープも付いてくる。大輔のお勧めに従い目玉焼きをトッピング。日本人にも合う味付けであっという間に完食。旨し!
 お腹を満たした後は車に乗ってアンコールワット周辺の寺院巡り。まずはアンコールトム、そしてタ・プローム、プリアカンと続く。時間が限られていたので、慌ただしい見学だったのは残念だったけれど、どれもアンコールワットに負けず劣らずの壮麗な寺院だ。アンコールワットが祈りの施設だとしたら、他は人々が実際に住む場所でもある。多くが仏教寺院だけれど、ヒンズー教の要素も濃厚で、タイの仏教寺院とはかなり趣が異なる。いずれにせよ、クメール文化の精髄をこれらの建物に見ることができる。
 改めて思うのはクメール文化のレベルの高さだ。暑さだけは難点だが、シェリムアップはおすすめの旅先だと思う。

【そしてアキラ地雷博物館へ】

 あまり時間はなかったが、どうしてもジョーさんに見せたいものがあると言って大輔に連れられて来られたのがシェリムアップ郊外にあるアキラ地雷博物館だ。
 ご存知の方も多いと思うが、長く続いたベトナムとの戦争や内戦でカンボジアには無数の地雷が今でも埋まっている。アキラ地雷博物館館長であるアキ・ラー氏は地雷禁止の啓蒙活動と地雷撤去の活動をしている。
 アキ・ラ氏の経歴は波瀾万丈だ。ポルポト政権下で生まれてすぐに両親と引き離され、物心ついた頃には少年兵となっていた。一応生まれは1973年ということになっているが、戸籍がないから、正確な年齢は分からないし、名前も部隊が変わるごとに変わっていったという。この博物館は主に日本人の支援を受けているので、彼の名前も日本風にアキ・ラー氏となった。
 戦争中アキラ氏はポルポト軍の、時にはベトナム軍の地雷を設置する責任者だった。当然多くの犠牲者を生んだが、生きるために仕方がなかったとアキラ氏は肩を落とす。そして戦後、せめてもの罪滅ぼしとしてこの博物館を作り、地雷撤去の活動を日々続けている。ここには孤児や地雷により手足を失った子供たちが一緒に暮らしている。
 アキラ地雷博物館は博物館としてはバラックを組み立てだけの簡素なものだし、展示物も除去し信管が抜かれた地雷が中心で、見どころが多いとは言えない。しかしアキラ氏その人が重要な生き証人だ。彼の話は知らない事ばかりで、暗澹たる気持ちにさせられた。
 ジョーは地雷は過去の遺物となっていると思い込んでいた。対人地雷全面禁止条約(オタワ条約)により、地雷は作れないし、使えないと思っていた。しかしそうではないことをここで知った。
 オタワ条約を批准している国が164カ国と聞けば、数が多いように思うけれど、度々、紛争で出兵をしている国の多くがこの条約を批准さえしていない。アメリカ然り、イスラエル然り、パレシチナ然り、フランス然り、中国然り。紛争が2年以上続いているロシアもウクライナも批准していない。
 ウクライナは黒土という肥沃な土により、世界でも有数の農業国で、その小麦は質の高いことで有名だ。ロシアとの戦争前、小麦はウクライナにとって重要な輸出品だった。その供給は戦争により、一時的にストップし、未だかつての供給量には程遠いのが現状らしい。結果として世界中で小麦不足になり小麦の値段は上がり、必然的に世界中でパンの値段が上がった。
 残念ながら現在ウクライナの農地にはロシア軍の侵攻を防ぐために小麦の代わりに多くの地雷が埋まっていると言われている。当分、質の高いウクライナの小麦生産量は限定的にならざるを得ず、その回復にはかなりの時間を要するだろう。たとえ戦争が終結してもカンボジアの例からも分かるようにその撤去には時間が掛かるからだ。
 アキラ氏からこのような世界の現状を聞かされ流石のジョーも考えさせられた。せめてもの救いはアキラ氏の若い奥さんが妊娠中で、来月出産予定だという。次の世代が地雷とは無縁の世界であるように祈りながら地雷博物館をあとにしたのだった。

【旅の終わりはやっぱりアレだね】

   ジョーたちのフライトの時間は夕方だったからまだ少しだけ余裕があったけれど、急いでホテルに帰った。 
 例によって汗びっしょりだった。チェックアウトタイムは過ぎていたがホテルの好意で部屋もバスも使っても良いと言われた。そこで水に近い温度でお湯を張り、ジョーはゆっくりとバスに浸かって体の熱を冷ましていた。するとあろうことかエステを終えてしっとりしているはずのサワコが侵入してくる。
 サワコのロケット型おっぱいを目の前で見せられると機能的に優れているとは言い難いジョー自身もそれなりに反応してしまう。しかしドーピングはしていなから、挿入できるほどには硬直しないはずだと安心していた。しかしながら意に反して(?)反応が鈍いはずのジョー自身はサワコの素晴らしい口技により起立する。するとここぞとばかり、サワコはジョー自身に腰を沈めた。そしてサワコはこれまたアメージングな腰使いを披露し、ひょっこりひょうたん島も真っ青になるくらい激しくお湯をチャプチャプさせたのだった。
 こうなればサワコの、そしてジョーの声も大きくなる(恥)のは自然の摂理(?)で、最終的には「中にいっぱい頂戴!」というサワコの掛け声(?)と共にジョーは果て、3泊4発(正確には5発)の旅を締め括ったのだった。(御免なさい、衛生器具は使用していません。って誰に謝ってるんだ?)。
 先程までクメール文化に心を奪われ、カンボジアの現状に思いを馳せていたとは思えない行為だが、不適切な関係の終わりはやっぱりエロで締めくくるのが正しい。ってダメ?

【そして旅の総括】

 これは俗説らしいんだけど、ジョーは「トラベル」の語源は「トラブル」だと思っている。アフリカで誕生した現人類は数万年かけて世界へと旅立った。それは何世代にも渡る旅で、その旅は苦難に満ち、トラブル続きだったことだろう。
 現代においてもトラベルにはやっぱりトラブルがつきものだ。ただしジョーのいうトラブルとは必ずしも悪いことばかりを意味しない。
 例えばこの旅でサワコとの距離はぐっと近くなったが、これも一種のトラブルだったとジョーは思っている。それなりのお手当(一般的なOLの初任給2ヶ月分くらい)がなければ実現しなかった旅だがオッサンの妄想に4日間も付き合ってくれる女性はそんなにいないだろう。
 そしてベトナムのIさん、カンボジアのOさん、両名のガイドによって旅は充実したものになったが、これもまた思いがけなかったという点でジョーに言わせるとトラブルだ。特にOさんとは日本研修で来日した時、再会し、さらに距離が縮まった。Oさんは息子を日本に留学させることも選択肢の一つだと考えているようだ。その時はジョーもできる範囲で協力したいと約束し、固い握手を交わしたのだった。
 しかしながら今回の旅で最大のトラブルは大輔との関係だろう。歳の差が二回り近くあるのに同世代の友人のような関係になった。昔に比べればマシになったけれど、決して社交的とはいえないジョーとしては稀有なことである。できればこれからもこの関係を大切にしたいと思う。
 大輔は東京生まれの東京育ちだが、元々祖先は高知の出だという。会社が順調な大輔は一族のため高知の山奥?に豪奢なコテージを造った。
  3月の某日ジョーもそこに招待されて行ってきた。そのコテージは日本一透明度が高いと言われる川沿いにある。真っ青の美しい川では色々な川遊びができるので初日はカヤックやサップを楽しんだ。
 そして二日目は初体験のキャニオニング。フランス生まれのこのアクティビティは日本ではまだ馴染みがないが、急流の川を岩伝いに歩き、時には川に飛び込み、その流れに身を任せる究極の川遊びといえる。5メートルの岩から川に飛び込むのは老体にはキツイけれど楽しい楽しい時間でこれからもクセなりそうだ。
 付け加えなければならないのは、大輔がルイちゃんじゃない女性を連れていたこと。パリ留学時代に知り合ったフランス系カナダ人である。ルイちゃんとはこのままゴールに向けて一直線に進むのとかと思ったが、世界を駆け巡るヤリチンはそうそう簡単にはゴールを迎えないらしい。かく言うジョーもサワコではない女性を同伴させたことをこっそり告白してこのコラムを終えたいと思う。

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