恋愛ワクチン 第八十二話 洗脳(前編)

達也は化学系の会社の開発部門に勤めている研究者だ。今年38才になる。
身長は172cmで体重は65kg。学生時代はボート部で副部長を務めていた。
面長で目は一重。イケメンという程ではないが、決して悪くない顔立ちをしている。
中学高校と彼女はおらず、工業大学に進学し、就職してからも工業団地にある研究室勤務であったため、女性と交際したことが無い。
童貞というわけでは無い。性欲は人並みにあり、大学時代に先輩に連れられてソープランドで筆おろしして以来、月に一二度風俗を利用している。
いわゆる素人童貞だ。
次男なので、田舎の両親にうるさく言われることは無かったが、さすがに40才を手前に独身と言うことで、心配はされるようになった。
達也自身も、元来が真面目な性格と言うこともあり、このまま家庭を持たずに人生を送るべきでは無いと考えている。
それで、思い切って婚活サイトに登録してみた。
多くの女性たちが登録されている中、達也なりに熟考して4人ほど候補を絞って連絡して、生まれて初めてのデートというものをしてみた。
女性たちは皆可愛いし愛想も良い。しかし達也は、誰とも継続する気が起きなかった。
結婚を前提として交際するというところに、何か違和感を覚えたからだ。
女性たちは自分と結婚したがっているのであって、自分を本当に好きになってくれた訳では無い。
婚活サイトなのだから当然なのだが、自分が求めているものとは何か違う。
そうだ、自分は恋愛というものをしたことが無い。
38才になって気が付くというのも遅いが、もし今結婚してしまったら、自分は恋愛というものをまったく知らずに人生を終えてしまう。
そこに達也の躊躇があった。
恋愛と言うのは、どうしたら出来るのだろう?
ネットで検索していて、「疑似恋愛」という単語が引っかかった。
いわゆるパパ活での楽しみ方のようだ。
独身で大した趣味も無い人間なので、貯金は貯まっているし、年収も800万程度はある。
パパ活をして「疑似恋愛」を経験してみたらどうだろうか?
この不完全燃焼のような思いのままでは、結婚など出来ない。
それに、ひょっとしたら、パパ活で出会った女性と、本当に恋に落ちるかもしれない。そうしたらその女性と結婚したっていい。
そんな思いで、達也は交際クラブに登録したのだった。
美希は24才、実家の病院で医療事務の仕事をしている。
小柄でおとなしく、というよりも幼い感じで、どこか浮世離れした女性だ。
小学校、中学校と引きこもりがちで、母親に守られて育てられてきた。
母親は支配的な人間で、美希の身の回り一切を管理した。
男性との交際はおろか、同性の友達さえ出来たことがない。
母親が詮索し「あの子とお付き合いしてはいけません」と禁じてしまうからだ。
そんな母親が、昨年病気で急死した。
美希は戸惑った。なにしろ、これまで母親抜きでは、洋服一つ自分で決めて買ったことが無い。
美希には姉がいた。
美穂と言う。
美穂の特異な性癖については「交際タイプAとBの深淵」で記した(→こちら)。
ユニバースで交際タイプBの女性会員として活動している。
美希と異なり、母親とはよく衝突した。
同じく支配的な性格であったからだろう。
母親も疎ましく思ったのか、美穂を遠ざけ、美希を溺愛した。
その結果が、愛に飢え、他人を操ることで一時的な満足を得てもなお、獣のように狩りを繰り返す美穂の性癖が形成されたのかもしれない。
母親に溺愛された美希は密かな嫉妬の対象ではあったが、実の妹であり血を分けた肉親だ。
美穂は未希をユニバースの女性会員になるように勧めた。
少し荒療治かもしれないが、男性と言うものを少し経験させた方がいいと考えたからだ。
交際タイプAのお食事デート限定であれば、変な男は寄ってこないだろう。
美希の面接には美穂が付き添った。
あどけない顔で、おどおどした小動物のような受け答えをする美希を見て、面接担当のスタッフは迷った。
この娘、交際クラブがどういうところか本当に理解しているのだろうか?
しかし、顔立ちは美人だ。オファーは来るだろう。
何といっても、人気女性会員の美穂の実の妹なのだ。素質のある原石かもしれない。
それで、プラチナのAタイプとして登録した。
実際、美希へのオファーは殺到した。最初の数日で10件くらい来たので、一時的にアルバムから非表示にしたほどだ。
美希は姉の美穂に言われるがままに、お食事デートを繰り返した。
会話がまったく出来ないわけではない。育ちは良いので、お食事マナーなどは自然と身についているし、控えめで聞き上手な性格にも見える。
ただし、根本はとにかく幼いので、びっくりするような誤解をしていたりもする。
そもそも大人の交際と言うのがどんな意味かすらはっきりと理解していないようであった。
そこが初々しくて新鮮に感じる男性もいて、継続を望まれることも多かったが、元々他人とのコミュニケーションが得意でない美希は気乗りがせず、二回目の誘いに応じることは無かった。
そんな中、達也と出会った。
達也もまた、美希の持つ不思議なあどけなさに魅かれた。
他の女性が持っていない純真さのようなものを、この女性は持っている。
ひょっとしたら、こういう女性こそが、自分の求めている欲求を満たしてくれるのではないだろうか。
背後に美穂と言う魔物がいることなど、知る由も無かった。

中編は→こちら、後編は→こちら

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