恋愛ワクチン 第八十三話 洗脳(中編)
美希は達也に出会って、自分に近いものを感じた。
他の男性たちは、遊びなれているようで、会話も巧みなのだが、達也は違った。
ぎこちなく、会話が途切れて沈黙で気まずくなることもあったが、そんな状況でも、不思議と居心地悪くはならない。
それで二回目のデートにも応じる気になった。
三回目のデートで、達也は思い切って未希の手を握ってみた。
美希にとって初めての他人の手だ。母親以外の肌を知らない。
手の大きさとぬくもりが心地よく、思わず体を摺り寄せてしまった。
その後の数か月、二人は中学生のような交際を続けた。
体の関係は無く、会って食事して手をつなぐだけ。
お会計は達也持ちだが、お手当てという名のお金のやりとりも無い。
手をつながないときは、美希は常に達也の袖を片手でつまんでいた。
まるで幼児が母親に寄り添うように。
達也はそんな美希を愛おしく感じた。
これが恋愛というものだろうか?
保護欲をかき立てられる。
大切にして、面倒をみたい。
美希には母親がいなくなった家を出て、一人暮らしをしてみたいという夢があった。
しかし自分ではどうしたら良いのかも分からない。
それを聞いた達也は一緒に不動産屋を回って、手頃なアパートを借りてあげることにした。
引っ越しの手配もして、新しい家具を一緒に選んだ。
新居は達也の自宅からも遠くない。
美希は食べるということにあまり欲が無いようであった。
放っておくと、一人では、何日も食べないこともある。
それで、達也は仕事が早く終わった日には、美希のアパートに出向いて、手料理を作た。
そんなある日、いつものように美希が達也に体を摺り寄せてきて、このところ風俗通いをしていなかった達也を欲情させた。
達也は美希を押し倒した。
初めてのセックス。
その後の蜜月。
達也は、人生で初めて、これこそが恋愛なのだろうと実感した。
一方で、姉の美穂は、そんな二人を注視し続けていた。
そしてある日、美希を呼び出した。
美穂「美希、達也って言うおじさんからお手当て貰ってないんでしょ?騙されてるよ、それ」
同席した美穂のレズビアンのパートナーである加奈も頷く。
美希「だけど、達也さんは、これまで恋人がいたことが無いし、私と真剣に将来を考えた交際をしたいって言ってくれてるし」
美穂「そんな男が交際クラブで遊んでるわけ無いじゃない。他にも女性がいるに決まってるよ。仮に今いなかったとしても、絶対に将来浮気するから」
そうかもしれない。
美希は達也に疑念を抱いた。
そして達也とのラインを無視し、傷心のまま実家に帰って引きこもった。
達也は心配した。
美希はどうしたのだろう?まったくラインに応答しない。
アパートに帰って来ている様子もない。
毎日アパートに確認に行った。すると、一週間目の夜、灯りがついていた。
呼び鈴を押すと、ドアが開いた。
すっかりやつれた美希。
達也「どうしたの?心配したよ」
美希は泣きじゃくりながら言った。
美希「私・・達也さんを束縛するつもりは無いから・・達也さんは無理しなくても、自由に遊んでいていいのよ・・」
達也は美希を抱きしめた。
達也「何を言っているんだ。僕は本当に生まれて初めて恋愛というものを味わった。美希ちゃんのおかげだよ。他に付き合っている子は本当にいないんだ」
美希は、長いこと母親に束縛されてきた。
保護にも程度がある。
きっと美希の心には、母親の束縛がトラウマとなっていて、自分が母親のような存在になりたくないという気持ちと、達也を独り占めしたいという気持ちとが葛藤しているのだろう。
何といっても、交際クラブでの出会いだ。
信用されないのは無理もない。
達也は、美希に自分のスマホを見せて、ラインの履歴を確認させた。
達也「ほら、美希ちゃん以外に誰ともやりとりしてないだろう?」
美希は言った。
美希「お願いがあるんですけど」
達也「何だい?」
美希「スマホのGPS機能をオンにしていい?達也さんがどこにいるのか判ると安心できるから」
達也「もちろん」
達也の日常は、会社と自宅とジム、そしてたまに行く風俗の繰り返しだった。
風俗は、美希との関係が深まったことだし、もう卒業で良い。
それでも、同僚に誘われて飲みに行ったり、会社帰りに買い物に寄り道をすることはある。
そのたびに、いつものルートから外れて5分もしないうちに、美希からラインが入るようになった。
普通の男性であれば、鬱陶しく感じるかもしれない。
しかし、達也は違った。
次男で放任主義の家庭であったこともあり、親からもここまで気にかけて貰ったことが無い。
人生でこんなに愛された経験は無い。
そう感じた。
美希は、達也の居場所を確認するたびに、ごめんなさいと謝った。
自分は、母親にこういう風にされてきた。まるで自分が母親になってしまったようで、とても苦しい。だけど、確認せずにはいられない。
達也は「いいよ、いいよ」と言って頭を撫でる。
達也「お母さんは、美希ちゃんのことが心配で仕方が無かったんだよ」
美希は首を振った。
美希「そうじゃないの・・お母さんが私にしていたことを知ったら、きっと達也さんは私を軽蔑するわ・・」
すこし事情がありそうだ。
達也は聞き出そうとしたが、美希は泣きじゃくるばかりだ。
一体この母娘の間に、何があったのだろう?