A さんへの往復書簡シリーズ2 〜絵画について〜
A さん。
予想通りというか、やっぱりというか A さんからの反応はありませんね。
木田さんとのやり取りの中で A さんは自主強制退会を宣言されたわけですが、僕らが(例えば僕とかマックさんとか)思っている以上に A さんには期するものがあるのでしょう。
もちろん残念ですけど、用意したネタもあるのでこのまましばらく独白を続けます。
交際倶楽部のコラムで「絵画について」と言われても????マークが並ぶだけでしょうけど、絵画の収集家でもあり、美に対する審美眼をお持ちの A さんならきっと僕の真意を汲み取ってくださることでしょう。
あっ、僕に真意ってあるのかな?多分締めは下ネタで終わりそうです(苦笑)。
いつもながら唐突ですが、僕は絵が好です。
描く人でないのは少し残念ですが、描けないから分かることもあるだろうと、開き直っております。
審美眼にも自信がなくて、画家の名前で絵を観る傾向があります。
それでも何人か好きな画家がいて人気のある印象派が中心ですが、身内に日本画家がいて幅が少しずつですが、広がってきました。
前述したように絵は幼い頃から身近にありました。
祖母は無名ながらプロの画家(油絵)でしたし、祖母の兄もまた画家(日本画)として生計を立てていました。
さらに母もそして母方の祖父も筆を持つ人でした。
物ゴコロついた頃より母にはよく美術館へ連れて行かれました。
必ずしも苦痛ではなかったけれど(美術館の後は必ず母お気に入りのレストランに連れて行ってもらったから。
その経験が今の僕の舌を作っています)自らの意志で美術館に足を運ぶようになったのはかなり後のことです。
それまでは「美術館は行かなければならない場所」でした。
最初に絵に目覚めたというか自らの意志で美術館に足を運ぶようになったきっかけはよく覚えています。
今は改装中ですが、まだサラリーマン時代にブリヂストン美術館でセザンヌの小品を観ていた時のことです。
唐突に小林秀雄の「私の人生観」の一節である「絵は、何も、教えはしない、絵から何かを教わる人もいない」が頭の中に思い浮かび、小林秀雄の文意に反して「絵の魅力ってこういう事なんだなぁ」と分かった気がするという我ながら不思議な経験?をしました。
そしてこの時以来、絵を観ることがすごく好きになり自ら美術館に足を運ぶようになりました。
ただし後になってセザンヌの同じ絵を何度も観ましたがこの時の感覚が蘇ることはなく、この絵に関しては1回限りの感覚です。
とは言え良い絵を観ると先ほどの小林の文章が頭の中をヨギリ、それが自分にとって好きな絵かどうかの基準になっています。
いつも以上に前置きが長いですな。
ようやく本題に入ります。
前回お話ししたようにコウミちゃんと思いがけず熱戦?を繰り広げたわけですが、ベットの中でのピロートーク中、絵の話題になりました。
コウミちゃんは中学、高校と美術部でした。
最近は筆を持つことはないようですが、その代わり美術館に行くのは好きだと言います。
そこで今ジョー、イチオシの画家田中一村について話しました。
昨年は田中一村の生誕 110 年で幾つのかの美術館で企画展がありました。
そしてその仕上げが奄美大島の「田中一村記念美術館」での企画展です。
この時点で閉会が迫っていました。
コウミちゃんが思いがけず田中一村に興味を示したので、ベットでの余韻に任せて
「コウミちゃん、今週末奄美に行かない?」
と軽い気持ちで誘ってみました。
何と二つ返事で OK。
そして二人は機上の人となったのです(正確には奄美空港で待ち合わせましたが)。
「絵の魅力は何か」と尋ねられたら、「過剰さ」と僕は答えます。
例えば日本でも人気の高いモネ。
絵を本格的に鑑賞し始めた頃は「いくら何でもやり過ぎだろうよ」と思っていました。
連作といえば聞こえがいいけれど、同じ題材を繰り返し描く手法についていけませんでした。
特に有名な「睡蓮」は晩年ほぼ視力を失った中で描いたからなのでしょうか、睡蓮の形はほぼ失われています。
長くモネの魅力がよくわかりませんでした。
数年前にジヴェルニーの「モネの庭」へ行く機会がありました。
全く期待していなかったのに、とにかく素晴らしかった。
そしてゲンキンなものですぐに「モネ派」へと宗旨替えしました。
「モネの庭」の特徴は何と言っても「過剰さ」にあると思います。
訪れた季節が初夏だったこともあり、庭には様々な植物が咲き乱れ、文字通り萌えていました。
このモネの庭はモネ自身が意匠を凝らしたもので、当然ですが、モネの絵に通じるものがあります。
モネはこの庭を見たままに描いたに違いない、色を作ったのではなく、発見したのだ、と痛感させられました。
そしてこの庭の過剰さを知ることで、僕はモネの魅力を発見し、宗旨替えしたわけです。
同じ経験はゴッホでもあって、アムステルダムのゴッホ美術館に行った後、ドイツへ移動中の車中から見た、風景はまさにゴッホの絵のようでした。
ゴッホの厚塗りはヨーロッパの自然が持つ過剰さを発見し、表現したものなのでしょう。
さて田中一村です。
空港でレンタカーを借りて、兎にも角にも田中一村記念美術館を目指しました。
特別展終了の1日前でしたからそれなりに混んでいましたが、例えば上野でフェルメールを観る時のように、入場制限は当然なく、比較的ゆっくりと鑑賞できました。
初期の南画や千葉時代の作品にも観るべきものが沢山ありましたが、何といっても、奄美時代の作品群に圧倒されました。
コウミちゃんも楽しんでくれたようで、開館と同時に入館し、午前中一杯を美術館で過ごしました。
昼食を取るため、一旦美術館を離れ、店を探すため、島内をドライブしました。
途中、海沿いに小高い丘があり、展望台になっているようでコウミちゃんのリクエストで車を降りて登って行きました。
小さな、簡易的な展望台でしたが、そこには奄美の美しい風景が拡がっています。
季節は晩冬でしたから、一村の絵のようには色鮮やかではなかったのですが、それでも奄美の自然の魅力は過剰さにあることがよく分かりました。
そして一村はその過剰な奄美の自然を発見し、憑かれたように一心不乱に描いたのでしょう。
仕上げはベット中です。
昼間は一村の過剰さに心を奪われましたが、夜はコウミちゃんの過剰な色香に身を任せました。
壁が厚いとは言えないホテルの部屋にコウミちゃんの嬌声が響き渡ります。
そしてまさかの連発。
生涯最後の連発はナナ姫とのバルセロナでの夜だと思っていましたが、人生何が起こるか分かりませんな。