恋愛ワクチン 第八話「賭け」
『恋愛ワクチン』
恋やセックスの欲求は時として病気のように人生を破壊します。これを予防するのが恋愛ワクチン。
入会費とセッティング料を払えば、誰もが接種でき、安全に疑似恋愛を体験できます。
彼女は養護施設で育った。
実の母親に殺されかけたからだ。
小学生になってからは父親と暮らした。貧しい田舎で、周りの人たちは皆自分たちのことを知っていた。
複雑な家庭環境の子、それが彼女に貼られたレッテルだ。
勉強は出来たが、誰もほめてくれる人はいない。そもそも生まれてからこれまで、彼女は人に認められたことがない。
ぐれようか、それとも頑張って自力で高校に行こうか、迷ったが後者を選んだ。
朝はコンビニで働き、そのあとで学校へ、夜は飲食店でバイト。そんな生活を続けたのち、地元を離れて大学に進学した。
大学では、普通の家庭の子を演じた。
仲の良い同級生が涙ぐみながら彼女に打ち明けたことがある。
「あたし・・両親が離婚しそうなの。ごめんね、こんな話しても、きっと経験したことが無い人には解ってもらえないと思うけど・・」
たしかに経験したことが無い。両親のいる家ってどんな感じなのだろう?
貧乏、という言葉の意味はよく知っている。
しかしお金があるということの意味は解らない。経験が無いから。
奨学金の返済は不安だったが、風俗のバイトは決してしまいと心に決めていた。それをすると、本当に自分の価値が無くなってしまう。怖かった。
家庭教師のバイトだけで生活はできない。家庭教師はカモフラージュ。夜はクラブで働き、休日にはコンパニオンの仕事をした。
コンパニオン仲間から、交際クラブの話を聞いた。お金になるのならなんでもする。面接に行ってみよう。
いつも通り、普通の家庭の子を演じよう。
そうしなければ、きっと面接の人も私を蔑む。
小学生の頃の近所の人たちと同じ目で私を見るだろう。
交際クラブで会ったおじさんと、生まれて初めてディズニーランドに行った。ブラックカードを持っている人だけが利用できる特別なコース。
お金があると、こういうことが出来るんだ。
彼は、別世界の人だった。
何度かのデートの後、彼の求めに応じるべきか迷った。
私は拒むことができる。
拒むことだけが、私に出来る唯一のことだ。
何もかも無くしたら、私は壊れてしまうのかもしれない。
私は彼の求めに応じた。私にとって賭けだった。
私は壊れなかった。
世界は変わらなかった。そして私は少しだけ強くなったような気がする。
「うーん、いい話だ。それからどうしたの?」
ベッドに横たわったマックさんの腕に抱かれながら、彼女は答える。
セックスを終えた後のピロートーク。
マックさんは、女の子の人生を掘り下げて聞くのが大好きだ。女の子も、セックスの後は気が緩むのか、もともと誰かに聞いて欲しいのか、口が軽やかになる。
「おじさんとはしばらく続いたけど、奥さんにばれて会えなくなっちゃった。もっと稼げるバイトないか探してたら、顔見知りのスカウトの人から、マカオに2週間行くと、確実に80万円もらえるバイトがあるって聞いて、思い切って行ってみたの」
「それって、ヤバくない?よく帰って来れたね」
「中国人相手のサウナの仕事で、女の子は並んで立って指名を待つの。中国人が7万円払って私の取り分が3万。1日2人くらい指名されたから2週間でちょうど80万くらい」
「もちろん、セックスするんだよね?」
「そう。日本人の女の子は値段が高いんだって。あと、身長でも値段が違うのよ。160cm以上の子はちょっとだけ値段が高い」
「へえ、日本じゃ小さい子のほうが可愛いがられるけど、中国は違うんだ・・欧米でも、美人は皆背が高いから、中国の感覚のほうが世界標準なのかなあ?」
彼女のたくましさは美しいとマックさんは感じる。
人生は短い。
悩むのは仕方がないが、振り返っている暇はない。
彼女のこれからの人生に幸あれ、乾杯。(続く)
マックさん