どんぶり勘定

【ご質問】

見返りを求めず幸せに生きる方法教えてください。見返りを求めると言う事はその相手には愛が存在していないと言う事でしょうか?

 

・URL https://universe-club.jp/help/questions/view/5726

【回答】

ご質問誠に有難うございます。

最初に断言しますが「見返りを求めないのが愛」などという戯言を抜かす人間は「見返りを求めていない人間」ではなく「見返りを支払いたくない傲慢な人間」で御座います。敬虔な宗教家だって「神の慈愛」なる見返りがあるからこそ、敬虔な信者でいることが出来ているに過ぎません。

我々が人間である以上、見返りを求めるのは当然のことで御座います。と言うより犬だって、飼い主よりも世話という見返りを与えてくれる人間がいたら、そちらの方を愛することでしょう。

ですので「見返りを求めるのであれば、そこに愛はない」などという意味の分からない言葉を気にする必要は御座いません。もちろん過度に見返りを要求するのは如何なものかと思いますが、見返りもなく愛することなど出来ませんし、見返りがあるからこそ人は相手を愛することが出来るので御座います。

見返りを求めるが、どんぶり勘定

友人2人と食事に行った際に、会計が2人で10,002円だったとしましょう。大皿料理を頼んでいたので、それぞれがいくら食べたのかは分かりません。そんな際に事細かに5,001円ずつ割り勘にする方はそこまで多くないことと思います。

おそらくどちらかが5,000円を支払って、もう1人が5,002円を負担することになるでしょう。

この2円の差についてその場でとやかく騒ぎ立てる方はおそらくほぼ存在しないことと思います。所詮たかだか2円だし、前に一緒に食事に行った際には相手の方が多く払ったような気もする。まぁこれまで合計でどっちの方が多く払っているかは分からないけど、おそらく大体同じくらいだろう。

愛に見返りを求めるのは当然のことで御座いますが、もしも愛を深く長いものにしたいのであればこのようなどんぶり勘定が必要であると私は思います。

見返りを求めること自体は問題ないのです。しかし「この前お土産を買ってきたのに、出張に行った彼からお土産がなかった」というように1つ1つのケースごとに見返りがあったなかったという話をしていては息が詰まって仕方がありません。

出来る限り雑に、出来る限りどんぶり勘定で考える。「この前お土産を買ってきたのに出張に行った彼からお土産がなかったけど、なんかその前は貰った気がする。大体トントンか。」くらいのいい加減な勘定をしていれば、1つくらい見返りがなかったからと言って思い悩むことは御座いません。

もちろん、どんぶり勘定とは言え勘定は勘定。どれだけ雑に計算しても帳尻が合わないこともあるでしょう。そんな時は「見返りがない!」と怒っても問題ございません。

おそらくご質問者様は「私は〇〇をしたのに……」と自分の献身に対して見返りがないことに不満を感じていらっしゃることでしょう。そしてそんな見返りを求めてしまっている自分に幻滅もされていることと思います。

しかし幻滅する必要は御座いません。人間は愛する見返りがあるからこそ、人を愛することが出来る生き物なので御座います。もちろんこの見返りは現金やバッグのような即物的なものだけではなく、笑顔や行動や居心地の良さなど様々なものが御座いますが、何の見返りもなく人を愛せるのは神くらいのものでしょう。

ただ「私は〇〇をしたのに……」というようにケースごとに見返りを考えるのではなく、もっと大雑把に全体的に見返りがあるのかどうかという視点を持って考えて見てくださいませ。小さなケースごとに見返りの有無を考えていたら、ご質問者様の精神が病んでしまうだけなのです。

友達と割り勘をするときの端数のようなもの。いちいちそれを咎めたりはしないものの、何だかんだで大体同じくらいならいいやというどんぶり勘定で考えていれば、1つ1つのことで目くじらを立てることは御座いません。

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