皆様おはようございます。
ユニバース 北村 香でございます。
これからこちらに書かせていただく内容は、タイトルからご想像がつくかと思います。
長文になりますし、私の独り言でございますので、読み流していただけましたら幸いでございます。
22年前のこの時間、かつて経験したことのない激震が私達を襲いました。
ドーン
ものすごい地鳴りとともに、突き上げるような激しい揺れがきました。
10秒にも10分にも感じられたその揺れは、一瞬にして神戸の街を破壊しました。
私は暗闇の中、倒れた家具だかなんだかわからないものの上を這い、
とにかく家族のもとへ、と必死の思いで動きました。
幸い自宅は倒壊を免れ、家族も全員無事でした。
自分の経験や想像を遥かに凌駕するその凶悪な破壊力に、
人生で初めて本物の恐怖に足元から体が震えました。
圧倒的な自然の力の前では私達など何ほどのものでもありません。
あぁ、ここで死ぬのだな、と、生まれて初めて思った瞬間でした。
本震の直後、東京の母方の祖母から安否確認の電話が1本かろうじてかかってきた後は、
電話は一切通じなくなりました。
長田区に暮らす父方の祖父母の安否はテレビの安否情報にかじりつきましたがわからず、
何日目か、電車が一部復旧して祖父母宅まで数駅歩いて行って初めて確認できました。
そして、生まれて初めて、「遺体安置所」という看板を街中のそこここで目にしました。
道路はアスファルトが波打ち、焼け焦げた家の柱だけがぽつーんとあるという、
戦争の写真でしか見たことがない光景を目の当たりにし、言葉が出ませんでした。
その後は余震や、無責任なデマに怯える日々です。
実はあれは余震で、本震は1ヶ月後に更にとてつもない揺れが来る、
などと適当な噂が飛び交いました。
自宅は水道が止まっていただけで電気もガスも通っていました。
給水車や公園に水を汲みに行ったり、公衆電話に並んだりしました。
近所の人たちとは挨拶程度の付き合いでしたが、
このときは、我先に給水車に走りたくなりそうなものなのに、
わざわざ近所の家々に「給水車どこそこにきたで!」と声をかけてくれるのです。
水や物資も分けてくれるのです。
お年寄りがいれば労り、食べ物も物資も分け合い、
励まし合って復興を遂げた神戸。
もちろん、震災前は「株式会社神戸市」と言われるほど財政が潤っていた、
資力があったから、ということもありますが、
皆が這い上がる、生き延びる、という強い意志と努力をもって、
復興に向けてぶんばったからではないでしょうか。
震災自体の被害でたくさんの人が命を落としました。
救命などのために命を落とした人もたくさん。
そして仮設住宅で孤独死したお年寄りの方。
復興に向けて昼夜寝食を忘れて働いてくれた当時の大人の人たち。
そんな、たくさんの人達のおかげで今の私達がある、
ということを、忘れそうになってしまっている自分がいます。
私は今は年に数回神戸に帰省する身です。
初めて神戸を訪れる人は、かつてそこが大震災に見舞われ
壊滅的な被害を受けた都市だとは誰も思わないでしょう。
私自身も、忘れてしまいそうになることがあります。
ルミナリエが始まり、イチローが活躍して優勝し、
神戸は劇的な復興を遂げました。
人ってすごい、神戸ってすごい。
そんな神戸にまたお世話になります。
内容についてご不快に思われた方がいらっしゃいましたら申し訳ございません。
あくまで個人的な回想であり、ユニバースとも関係ない内容でございますこと、
お詫び申しあげます。
ユニバース神戸
北村 香
交際クラブ 「ユニバース倶楽部」では全国で男女会員様を募集しております。
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感動しました 陰ながら応援させて頂きます
ブログなんて文句があんなら見なけりゃいいんだから、思ったことを書けばいいと思うよ。 忘年会シーズンまでには東京に戻れることを期待しとります笑。
名無し様 コメントありがとうございます。 神戸の人々や街のように強く逞しくありたいと思います。 隊長様 いつもお世話になっております。 隊長様のブログ更新、いつも楽しみにしております。 出入り禁止にならない限り、どこからでも駆けつけさせていただきたいと思います!