まともな人
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ご質問
既婚者で家に子供がいる人がパパ活してると、この人の子供、まともに育たなさそうだなー、将来グレそうだなーと内心思っています。(教育関係の学科在学中)
自分の親が実際不倫してたので気持ちわかるんですが、子供ってそんなに馬鹿じゃないし雰囲気で察してます。
奥様や子供さんの事について相談される時ありますが、パパ活やめたら解決するんだろうなーと思うこともあるのですが、言っていいと思いますか?
パパ活してる大学生の分際で言える事ではないですよね。
【URL】
https://universe-club.jp/help/questions/view/5764
回答
ご質問誠に有難う御座います。
ご質問者様のご両親様が不倫をしていたかどうかは私には分かりませんし、ご質問者様がグレているのかどうかも私には分かりませんが、客観的な統計データとして日本人の約50%が不倫・浮気の経験を持っています。
日本人男性ではなく日本人のデータとしてこの数字。実は浮気た不倫の確率は男女でほぼ変わりません。そうにも関わらず男性の浮気ばかり問題になっているのは、単純に男性の浮気の方がバレやすいだけなのです。
つまり「親が不倫=子供はグレる」という公式が正しいのであれば、日本人の2人に1人はグレているということになるでしょう。過半数がグレているのであれば、もはや何がグレるで何がまともなのか分かったものでは御座いません。
ちなみに私は自分の両親が不倫をしていたかどうかは分かりませんが、客観的な統計データを考えると75%の可能性で父か母のうち少なくとも一方が不倫をしているということになるでしょう。特に父は非常にモテていたので不倫をしていたかもしれません。
個人的にそのような自覚はないのですが、もしかして私はグレていたのでしょうか。
パパ活をするような男が嫌い
「パパ活してる大学生の分際で言える事ではないですよね。」
こんな言い回しをされている時点でご質問者様自身も、おそらくは「言わないほうがいい」ということはご理解されていることでしょう。
単純に損得の問題だけで考えればどう考えても言わないほうが得なのは間違いありません。十中八九そのパパ様との関係は終わりますし、無駄に人から嫌われて得をすることなどほぼほぼ存在しないので御座います。
問題なのは、ご質問者様がそんなことは百も承知なのになぜこのような質問をされたのかということ。
こんなご質問をされるということは、ご質問者様はパパ様に「パパ活やめれば?」と言ってやりたいので御座います。しかし損得の問題を考えて言えずにいる。これこそが今のご質問者様の最大のお悩みでしょう。
それではご質問者様は一体なぜそのようなことを言ってしまいたいのか。1円の得にもならないどころか、むしろ大損をする可能性が非常に高い発言をご質問者様は一体なぜしてしまいたいのでしょうか。
もちろん「言いたいことを言ってスカッとしたい」という気持ちが最も大きいこととは思いますが、そのような気持ちを抱いているということはご質問者様がパパのことを嫌っているからに他なりません。
この相談はユニバース様で行われているものであるため、どれほど綺麗事を並べようが基本的には愛ではなく金銭で繋がっている関係で御座います。ですのでパパのことが好きだろうが嫌いだろうが、それで双方にとって都合の良い関係が築けるのであれば特に問題があると私は思いません。
それにご質問者様の場合、今のパパが嫌いというよりも「パパ活をするような男性全般」が嫌いなように感じます。確かに既婚男性に比べれば、未婚男性のほうがマシだとお思いのこととは思いますが、ご自身の家庭の事情まで出すあたりパパ活のようなサービスを利用する男性全般があまり好きではないことでしょう。ですので、別の男性を紹介して頂いても状況はさほど変わらないことでしょう。
そして何よりもそんな憎み唾棄すべき存在である男に頭を下げてお金を貰っている自分自身のことを何よりも軽蔑していて、そしてそんな状況があまりにも屈辱的なのではないでしょうか。
お金が欲しいのか?
東京都千代田区に生まれ、小中高大と都心3区で過ごし、そのままやはり都心3区の企業に就職した男がいました。
彼はどこまでも善良で丁寧で知的で、社会的地位や給料も高く、ついでに顔もイケメンでした。
もちろん彼は彼なりに人生を苦労したことでしょう。しかし彼の口から語られる苦労というのはいつだって高みを目指した者が感じる苦労でしかありません。
彼は「エベレストに登頂することがどれだけ大変か」ということを語ることは出来ても、1年間必死で働いてもエベレストの入山料すら払えない人間の苦悩を彼は語ることが出来ないのです。
「必死で勉強したけど偏差値60前後の大学にしか受からなかった」という苦労を語るその男は、経済的理由などにより未だに日本人の半数が大学に入ることすら出来ないことを分かっていないのです。
「第一志望の企業には受からなかった」という苦労を語るその男は、そもそも東京に出ることすら出来ない人が多くいることすら分かっておりません。
おそらくは良い家庭で、適切な教育を受け、経済的に困窮することなく、多くの人から愛されているであろうその男。
しかしそんな境遇を誰かに自慢するでもなく、誰に対しても丁寧で、親切で、優しくて、悪の欠片すら持ち合わせていないその男。
私はどうにもそんな魅力的なその男が好きになれそうもありません。
さて、もしもご質問者様が社会人であれば、経済的に大きな問題を抱えていてパパ活せざるを得ないという状況である可能性もあるでしょう。
しかしご質問者様は大学生。もちろん、経済的に豊かではないかも知れませんが明日のパンに困るほどということはないでしょう。もしもそれほどまでに経済的に困窮しているのであればそもそも大学に行くことすら出来ないはずなので御座います。
それではご質問者様は一体なぜパパ活をされているのでしょうか。
この世で最も憎い存在に頭を下げ、おそらくは己の体も売り、大学生という貴重な時間を浪費してまでお金が欲しいのでしょうか。月々20万だか30万だか分かりませんが、ご質問者様はそのお金が本当に欲しいのでしょうか。
おそらくそうではないでしょう。もちろんお金が欲しくないということはないでしょうが、ご質問者様がこうして「パパ活」という選択をしたのはお金だけではない別の理由があるような気がしてなりません。
さて、それではその理由とはいったい何なのでしょうか。
そのキーになってくるのが、先ほど紹介した善良な男なのではないかと私は思います。
ご質問者様は彼の話を聞いてどう思ったでしょうか?彼は間違いなく優良物件で御座います。年収1億を稼ぐことはないかも知れませんが、年収1000万円を切ることもまたないことでしょう。
しかし、あの男は世の中に「不和な両親」や「子供を愛さない親」がいるということすらろくに分かっておりません。母子家庭という言葉は聞いたことがあっても、その言葉をアフリカの飢餓問題と同じくらい遠い言葉であると思っていることでしょう。
彼は幸運な家庭に、幸運な遺伝子を持って生まれてしまったばっかりに、自分が世の中の上位数パーセントの世界にいるということすら理解できていないのです。自分と自分の周囲が善良な人間ばかりだったばっかりに、あの男は世の中に悪しき人間や貧しき世界が存在していることすらまともに理解できておりません。
ですので私はこの善良で丁寧で親切で、そしてあまりにも世間知らずなこのアホ男が好きではないのです。
私の仕事はラブホスタッフ。少なくとも相手の両親に結婚を申し込みに行った際に良い顔をされる職業ではないでしょう。そんな現実があるにも関わらず、あのアホ男は「ラブホスタッフも立派な仕事じゃないですか」と一片の悪意もなく言い放つので御座います。
おそらく不幸にもあまり良くない家庭環境に生まれしまったご質問者様であれば、私が言っている気持ちを少しばかりはご理解頂けるのではないでしょうか。
善良な家庭に生まれて、適切な教育を受けて、そして誰とでも仲良くしている”いわゆるまともな大学生”がご質問者様の周りにはたくさんいらっしゃることと思います。そんな人間を見て、私があのアホ男に感じるような感情を少なからず感じるのではないでしょうか。
もちろん私だって分かっていますし、ご質問者様だって分かっていることでしょう。こんなものは嫉妬でしかありません。自分と違い”まともな人生”を歩んできた”立派な”人間に嫉妬をしているだけで、私たちだって出来ることならばそういう”まともな人間”になりたいと願っているので御座います。
しかし幸か不幸かそうはなれなかった私のような人間にとって、彼らはあまりにも眩しすぎて、そしてあまりにも遠すぎて、そして決して相容れない人間に見えてしまうものでしょう。
私にはご質問者様のお気持ちは分かりませんが、ご質問者様であれば私の気持ちは少なからずご理解頂けるのではないでしょうか。
それではもしもご質問者様が私と同じ、もしくは私と似た感情を周囲の人間に対して感じているのであるとすれば、ご質問者様がパパ活をされている理由もなんとなくでは御座いますが、わからなくもありません。
もう、まともではないということしか心の拠り所がないのです。あまりにもまともな人間を目の当たりにし、自分がまともな道を歩めないことを痛感してしまったら、それはもう”まともではない”ということを心の拠り所にするしかありません。
あのアホ男のような”まともな人”には到底理解できない心理でしょう。しかし”まともではない人”にとって”まともな人”と同じ道を歩むのはあまりにも眩しすぎるのです。
それならばまだ、例え唾棄すべき相手だったとしても、パパ活をするような”まともではない人”と傷の抉り合いをしていたほうがマシ。”まともな人”に理解されたような口を聞かれることほど、”まともではない人”にとって屈辱的なことはございません。