Still I’m in love with you

WTWは、海外でサラリーマン社長をしている50歳過ぎの親父です。

海外に駐在している私が、なぜクラブに入会し、どんな出会いをしているか?

思い出を交えながら綴っていければと思います。
 

灼熱のバンコクでの出会い

タイで出会った中国とインドの混血、Sharonの話です。

もう15年も前の話です。

彼女とであったのは、まだタイが軍政になる前のタクシン政権の頃。

バンコク駐在を初めてまだ一か月も起たない頃。

家族は半年後に来るということで、束の間のバンコク単身生活を楽しもうとしていた頃です。

その当時のバンコクには、駐在員が、ゆっくり楽しむような雰囲気の日本人クラブが沢山ありました。

まだ日本人がお金持ちと思われていたし、日本人からすると、すべてがお得感のあったバンコクの最後の良き時代です。

そんな、浮かれていた時代、スクムビットの持ち帰り不可のカラオケに会社の駐在員メンバーに初めて連れていかれた今は亡き<夕月>という店に、Sharonはチョコン、と座っていました。

タイのクラブは、入場時に、その日のホステスを選びます。

まだタイ語がしゃべれない私は、日本語を喋れる娘はベテラン、擦れていると思い<Who can speak English? >で選んだのがSharonです。

彼女は19歳の女子大生。

生活費と学費を稼ぐために、日本人クラブに働き始めて3週間の女の子でした。

彼女は中華の母とインド人の父親の間に生まれ、シンガポールで育ち、高校からタイに来た、美しくも可愛い子。

複雑な家庭環境で、大学の学費を自分で出さなければということで、当時は給料の良かった日本人クラブで働き始めたとのことでした。

彼女は、3週間クラブで働いたけど、あと1週間働き、給料をもらったらお店は辞めるといっていました。

そりゃ日本語か、片言のタイ語しかしゃべらない元は田舎の工場出身の駐在員相手に日本語不可のシャロンは、仕事が楽しいわけない。

一緒にいった社長は

「おい、この娘の胸、シリコンじゃなくて本物だぞ」

なんてSharonにセクハラしていましたから。

(このセクハラに腹が立って、Sharonを守らなきゃ、と思ったのも事実。セクハラ親父のセクハラが、僕をその気にさせたのかも。)

トイレにいったWTWにおしぼりを渡すべく、皆がいる部屋をでて、トイレの前に立っていたSharonと皆に内緒で携帯の番号を交換したその夜彼女から、デートのお誘いが携帯のショートメッセージでありました。

なぜ僕なの?

他にはいい人はいないの?

との問いには、Sharonは

「WTWは紳士で英語もしゃべれるから、今度デートしてほしい、そこで色々お願いを聞いてほしい」

とのこと。

次の土曜日の昼間です。

デートは、当時台湾にも来たばかりのスタバ。

そこで彼女から、愛人契約のオファーがありました。

いくらいるの?と聞くと、月5万円頂ければ嬉しいとの話。

当時、新卒の工場ワ―カーの給与が月1.8万円、デパガの給料が1.5万円のタイからすると、結構な金額ですが、複雑な家庭事情から、学費と生活費を稼ぐ必要があるSharonからすると、それだけあると嬉しいとおもったのでしょうね。

5万円の月契約のオファーを断ることができる筈のない、38歳のWTWでした。

その時に、彼女からの告白は、<I am Virgin.> 当時仮住まいのホテルで逢うのは嫌、新居に引っ越してから、スタートしましょう、とのオファー。

即決OKした僕と彼女は、単身赴任用のサービスアパートに入居し、日曜の夕方から一緒にすごすように。
 

週末の恋人

彼女は、今までにあった中で、一番美しいボディシルエットをもっていました。

あれだけ大きくて形も美しいバストは、今まで見たことないほどの美しさ。

芸術系ヌード写真のようでした。

肩から乳首までの美しいライン。

乳首からアンダーまでの丸み。

そして少し黒ずんでいるけど、可愛い乳首。固くもなく、柔らかすぎない胸。

高校時代の後輩からは、Pii Nom  Yai. ( おっぱい先輩)アジアンビューティです。

一緒に歩けば、皆が振り返るほどのスタイルの良さと、アンバランスな可愛いFACE。

楽しい単身赴任期間でした。

日曜日の夜は色々なレストランにいったり、彼女の軽自動車でドライブしたり。
(MTでしたね。彼女の運転は上手でしたけど、事故でけがしたら、シャレにならんなーと思っていました。)


楽しい週末でした。


それに彼女は処女。


ゆっくり何日もかけて彼女を娘から女性に変え、性の歓びを与え、私は彼女の若く美しい体に満足していました。

混血は性欲が強い、そんな都市伝説は正しいと実感しました。

不安なのは若いシャロンはどんどん快楽を覚えていきました。

半年後 家族が来た後は、月の契約はやめて、いい意味のガールフレンドに。

彼女はまた日本人クラブ復活したので、そこに遊びにいき、一人暮らしを始めたアパートに遊びにいったりしていました。

タイ人のお金持ちの彼氏もいたりしましたが、そいつとSEXした後に呼ばれて、やっぱりWTWのSEXのやり方が好きといわれたり。

お互いに相性は抜群でした。

男と女の関係はありましたが、それ以上に良い友人としての関係も続いていました。

本当はタイ人よりもシンガポール人の方が幸せだったと思う。

当時はタイ人だと、簡単に日本に行けなかったしね。
 

ドイツ人のビッグバイク

それから彼女は何人ものBFとくっついたり離れたり。

そりゃ、もてましたよ。Sharonは。

彼女に彼氏ができても、お互い1か月に一回、遊びにいったり1ヶ月に一回、貪欲に楽しんでいましたね。

楽しい関係でした。

大学3年生になった彼女は急死した父親の後を継いで、学生社長で、有名な●●●の雑誌を出版してこれから随分お金持ちになるはずだったし、幸せになるし、WTWが日本に帰っても日本で逢おうとか、タイに来るファーストクラスのチケット送るね、なんて話をしていました。

たぶん、友情と愛情はずっと続くとおもっていました。

処女をもらった男は余裕がでます。

SharonがBFをホッピングしていても、不思議と寝取られ感はなかったですね。

でも

別れは突然やってきました。 

タイの新聞を日本語に翻訳した情報を毎日送ってくるサービスを会社で読んでいたWTWはドイツ人の男性運転する大型バイクが、BTSの支柱にぶつかり同乗のタイ人女性も死亡したとの記事をなぜか、覚えていました。

そんな事故の記事は沢山あるバンコクなのに。

記事を読んだあと暫く後に、Sharonにいつもの様に他愛もない挨拶を送ると、突然シャロンの携帯から電話。

彼女の従兄弟を名乗る男性から、Sharonはバイク事故で死んだとの電話連絡でした。

WTWも面識のあるその従兄弟だけが少し英語を喋れるからとのことで、知らせてくれました。


まさしく、なぜか気になった記事が彼女の死亡事故の記事でした。

彼女の新しい恋人がドイツ人だといっていたのを思い出しました。

彼女は、父親の会社を継ぎ、美人女性実業家として、輝ける未来がまっていたのに。

馬鹿なドイツ人BFのせいでまだ、100%輝く前に、遠くに逝ってしまいました。

でもよく考えると、僕だけと付き合っていたら、彼女は今も生きていたのかも。

15年間 WTWはずっとそんな風に彼女の事を考えています。

いまだに彼女ほど美しい、けど憂いを抱えた女性に逢えていません。


逢いたいよ。


Sharon。


いまだに彼女に似た女性を探し続けてユニバースのHPを眺めています。
 

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