甘酸っぱいだけじゃない交際倶楽部:番外編

こんにちは、レンです。今回は、番外編として、「倶楽部での出会いが持つ性質」についてすこし考えてみました。

私に何か明確な答えがある訳ではなく、何も結論めいた話はないのですが、つらつらと思いついたままに書いてみたいと思います。
 

そもそも「一時的な」関係

当たり前の話ですが、交際倶楽部を通じた出会いは、恋愛感覚が生まれても、いわゆる結婚をゴールとした恋愛ではないと考えています。

私が独身であれば求めるものが違うのかもしれませんが、それ以前に登録する女性にとって「おカネ」が無視できない要素である以上、お互いに好意を持つことは重要な要素ではありますが、「普通の」恋愛とは発射台からして違う、と考えます。
 

逆に、お相手を中心に考えれば、普通の恋愛関係になるパートナーを見つけ、結婚をする可能性もあることを考えれば、お相手にとっても、ここで出会った男性との関係において永続性などは求めていないものと思います。

もちろん、年単位での関係はあり得るものと思いますが、それも、その方の人生における一幕、という以上の意味を持ちえないと考えています。
 

それゆえ、こちらで出会ってお付き合いする方には、他の「パパ」がいる、本命のパートナーがいることは珍しくないですし、上記の通り、女性目線に立てば、ここで出会う男性との関係は、「必要性がなくなれば終了」となるはずです

(もちろん、ここでの出会いが結婚にまでつながるという例外があることも存じ上げていますが。)

もっとも、お付き合いする中で「一緒にいる時間が楽しい」という感覚から、「気持ち」の比重が上がり、自分との関係は一時的なものである、という感覚を忘れかける瞬間もありますが、

おそらく、この基本的な部分は忘れてはいけないのだと考えています。
 

言い方を変えれば、お付き合いがスタートした瞬間から、適切なタイミングで後腐れなく・トラブルなく終わること=正しく終わること」ということが重要な課題になっている、という不思議な関係とも言えます。

ここでの出会い・お付き合いは、いわゆる結婚をゴールとした恋愛=永続性を目指す恋愛とは真逆のベクトルを持っていると解釈しています。
 

 

倶楽部でのお相手との時間は「非日常」

そもそも、自分にもお相手にもパートナーがいることを前提とすれば、パートナーとの時間=日常であるはずです。

逆に、こちらで出会う方との時間はその補集合となりますので、当然に「非日常」となります。
 

だからこそ、自分にとっては、お相手の方との時間における「非日常性」は重要な要素です。それゆえ、お相手と過ごす時間における「特別感」は大切だと思っており、

食事する場所、ご案内する部屋、お相手にとっての「プラスアルファ」を意識することが大切なのだと思っています。多分に自己満足なのですが、この「自己満足」こそが重要だったりします。笑
 

もちろん「デートに金を使うくらいなら、それを削ってお礼を充実してほしい」という方もいらっしゃることは理解していますが、私としては、一緒に非日常を楽しんでくださる、一緒に過ごす少し特別感のある時間の充実の先に「お礼」がある、というスタンスの方とのお付き合いを大切にしたいと考えています

いろんなスタンスの方がいらっしゃると思いますので正解はないと思っていますが。
 

もちろん、もう少し関係が深くなる=愛人契約、みたいなレベルになってくると、「日常」の要素が混じってくるのかなぁ、等と考えますが、入り口としては「非日常」からスタートしていく、ということなのではないか、と思っています。

出会って以降の一緒に過ごす時間の積み重ねの中で、お互いに日常に踏み込むことを許しあえれば、違うお付き合いの仕方に発展していくのだと思います。
 

ただ、あまりに踏み込んでしまうと、本来のパートナーとの関係に支障をきたすリスクも上がっていくのだと思います。言い換えれば、「火遊び」の範疇を超えてしまう、ということになるのだと思います。

私としては、パートナーとの良好な関係を壊さない範囲であることが大前提ですので、このレベルに踏み込むことは全く考えない訳ですが。

 

「お礼」について:「サービス料」とは違う

先に記載したように、お付き合いの中での「おカネ」は無視できない要素です。じゃあ、この「おカネ」の持つ意味は何か?ということは大事なポイントだと思っています。
 

例えば、風俗に行けば、そのサービスの対価を支払う、という行為が発生します。

これは、性的なサービスに対する支払いになりますので、当然に「プロ」としての技量を期待し、その技量への対価というものになります。
 

じゃあ、お付き合いしている方に渡す「おカネ」はサービス料か?というと、私は、お付き合いの中でお渡しするものは、サービス料とは明確に「違う」と位置付けています。

一緒に楽しく過ごしたことへの「気持ち」を表現したものになります。

つまり、私が楽しむだけでなく、お相手も楽しく過ごせたこと、その感覚を共有してくれたことへのお礼、として渡すものとして位置付けています。

その意味では直接的なアクションへの対価性は希薄だと考えています。

 

これとは異なる考え方として、「一緒にいる時間×時間単価」で捉え方もあると思います。

非常に分かりやすい考え方ですが、この感覚は「サービス料」の感覚に近いと思っています。

こういう感覚の場合、お相手の方は私との一緒にいる時間を楽しむという感覚が希薄である、という前提になりますので、時間単価相応に「客」としての私を楽しませてくれるのか?ということが大事になると考えています。

 

「お礼」として捉えるからこそ、私がお相手を楽しませる、そしてそれを受け入れて楽しんでくれているお相手との時間だからこそ、自分も満たされる、という関係が成り立つのだと思います。

私としては、一緒に楽しむ、ということを大切にしてくれる方との関係は本当に大切にしたいと思っています。

逆に、私と一緒に過ごす時間が苦痛な方は、むしろ無理せずに離れていただくことがお互いにとって良いのだと思っています。

 

幸いにして、こちらで出会って継続的に会っていただいている方は、私とのデート、お食事、その後の時間を一緒に楽しんでくれていると思いますし、楽しんでくれているからこそ、続いているのだと思っています。

もちろん、演技かもしれません。しかし、もし演技であったとしても完璧に私を騙してくれているので、全然問題ないと思ってます。笑

 

「継続的な関係」を築くために

このように考えていきますと、すごくシンプルな理由で継続的な関係が成り立っているのだと思います。

 

  • 「苦痛の対価としてのおカネ」になった瞬間に継続は難しい
  • 故に、相手に苦痛を与えて良いことはない
  • 一方で、takeを意識するgiveを最小化してtakeを最大化したくなる。
  • 故に、give and takeでも継続は難しい。
  • give give and be givenが結果としての対価が大きい
  • 但し、giveとgivenのバランスが大きく崩れれば継続は難しい(お互いにgiveする意思があるか?)

 

という感じかなぁ、と感じています。

矛盾していますが、「おカネとその対価」という関係で捉えてしまうと、なかなか長続きしなかったんではないか。。。等と考えています。

実際、私自身の感覚としては、相互の返報性(お互いにgiveする感覚)が成り立っているからこそ、お互いにある種の「節度」を意識しているからこそ、それなりに続いているんだろうなぁ。。。と感じています。

これは、デート、お食事、その後の時間、すべてにおいて本質的には同じと思っています。

 

こういった関係が作ることができているのは、お相手の人間性・スタンスに因るところが大、と感じていますし、本当にありがたいことだと思っています。

 

今回、番外編と言いながら、何も結論めいたこと、まとまりもなく恐縮です。

最近、少し思うところがありましたので図々しく書かせてもらいました。次回は、当タイトルのシリーズの最終回「リスクとリターン」について書いてまいりたいと思います。



レン

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