ナナ姫ノ事 最終話 前篇
【アイマスクはテンピュールに限るね】
今日もまた暗いうちから目が覚めた。枕元の時計を見るとまだ4時にもなっていない。昨年までならもう一度眠りにつくところだけど、今はもう二度寝することができない。だって目が覚めると必ず姫のことを考えてしまうから。姫がもういない現実を半年以上経つのに受け入れられない。まだ半年、というべきかもしれないけど。
油断すると今でも涙が溢れそうになる。だからベットから降りて、姫に挨拶をする。「おはよう」とか「まだ朝っていう時間じゃないよね」とか。返事がないのは寂しいけれど、挨拶をすることで少しだけ心が落ち着く。そしてシャワーを浴び、冷凍庫からコーヒー豆を出して手動のコーヒーミルで丁寧に豆を挽く。と同時に水を入れたポットに火をかけ、挽きたての豆をネルにセットしてゆっくりお湯を注ぐ。こうしたやや面倒な手順を踏むのは出来るだけ姫のことを考えないようにするためだ。1月以来ほぼ毎日の日課なので、随分と美味しく淹れられるようになった。その美味しいコーヒを飲みながら読みかけの本を開くこともあるが、読むともなく文字を追うだけでその内容はほとんど頭に入らない。気が向けば着替えて散歩に出ることもある。
というような日常をトモヒロ先生に話した。
「ジョーさんの場合、眠れないわけでないから睡眠導入剤はお勧めできません。騙されたと思ってアイマスクを着用してみませんか?」
先生のお薦めに従い、テンピュールのアイマスクを購入し、使い始める。すると、何ということでしょう、本来起きるべき時間まで、ぐっすり眠れるではありませんか⁉︎しかもテンピュールのアイマスクは圧迫感もなく優しく包んでくれるので、深く眠れ、目覚めた時の感覚も素晴らしい。最近では手放せないグッズになった。ただし、そんなテンピュールをもってしても、目覚めるとまず姫のことを考えてしまうのは変わらずで、残念ながらその点に於いては全く効果がない。
心のざわつきを抑えるために迷ったけれど、3本ほどコラムを書いた。すると思いがけず最愛の人を失った経験のある二人の男性会員から心暖まるコメント頂いた。しかしながらお二人が失ったのは文字通り最愛の人で、その苦しみと悲しみをジョーが本当の意味で想像することができない。お二人の経験とジョーの経験を比較すること自体、烏滸がましいとさえ思う。そもそもジョーにとって姫は最愛の人だろうか?心情的にはともかくとして過ごした時間を考えると最愛の人とは言い難い。知り合ってから4年弱の短い付き合いだったしその短い付き合いの中でさえ1ヶ月以上連絡を取り合わないこともあった。今年の1月まではいつも姫のことを考えていたわけではない。だからこそ目覚めると姫のことを考え、眠りにつくまで姫のことで心が塞がれてしまうことに我ながらびっくりしているのだ。
おそらく時間が掛かるのだろう、真の意味で心の平静さを取り戻すには。今のところ、そんな日がやってくるととは思えないし、来年還暦を迎える身にはそれは耐え難い時間のように思える。姫に想いを馳せるとき、当然ながらその時間軸は未来へとはすすまない。どうしても過去へと戻される。それだけなら素晴らしい思い出もあるから、慰められることもあるが問題はその時間が単に過去へと引き戻されるだけでないことだ。時に上下に激しく揺れ動き、グルグルと不規則に楕円を描くこともある。そしてこの運動はジョーの気分を表しているとも言えるし、当然ながら精神状態にも影響する。もちろん苦しいし、感情の起伏が激しくなり、うまくコントロールできないこともあった。だからオサム君の勧めに従って心療内科で受診することにしたのだった。
【オサムの手記】
パイセンは中高一貫校の先輩です。同じクラブにも所属していました。ただ僕が中学に入学した頃、パイセンは高校生でしたから学校時代の記憶はほぼありません。親しくなったのは、パイセンが社会人で僕が大学生の頃です。お互いおOB会の幹事だったので、打ち合わせと称して年代を超えてつるむ?事があり、グッと距離が近くなりました。パイセンは覚えていないようですが、幹事会でご飯を食べた後、なぜか二人だけになりました。パイセンは「おとなのバーに連れて行ってやる」と行って京王プラザホテルのスカイラウンジ(オーロラ)に連れていってくれました。僕は決して貧乏学生という訳ではなかったけれど、高田馬場のつぼ八が主戦場でしたから「大人ってこういう場所で飲むんだなあ、随分おしゃれだなあ」と思ったのを覚えています。今でも年に数回オーロラに足を運ぶ事がありますけど、最初にここに来た時の映像と気分が蘇り、微苦笑させられます。
ここ十年くらいはプライベートだけでなく、仕事でも関わりが関わりができてその関係性の密度が格段に上がりました。僕は4年年前から教育事業を柱の一つに据えています。その関西エリアの責任者としてパイセンをリクルートして初めて共同で事業をしています。コロナ禍で随分廻り道をしましたけどやっと軌道に乗り掛けたところで、今回の事が起こりました。「もしかしたらパイセンはこの事業から降りるかも」と思いましたが、むしろやる気になって停滞した事柄が次々と解決していきます。本音を言えばパイセンの経営者としての能力をずっと疑っていたんですが、「俺はやればできる漢だ」という口癖?は本当でした。だからこそ、心配なんですね。明らかに情緒は不安定だし。大阪事務所のスッタフからの報告によれば「目を赤く腫らしてトイレが出てきた」事も数回あった様です。
僕の同級生で心療内科をやっている奴がいて(トモヒロ)、親しくしているから受診するように勧めたんですが、最初は頑なに断られました。ところが後になって「予約を頼む」という電話がかかってきました。おそらくパイセンとしても何か感じる事があったでしょう。
【トモヒロ医師の所見】
学校の卒業生というだけで紹介を受けることはあまり気が進まない。だけど色々と俺の弱みを握られている(苦笑)オサムの頼みだったから断れなかった。それにジョーさんは学部は違うけれど「お前の大学の先輩でもあるから」とオサムに言われたので「これも何かの縁か」と思って受診してもらう事にした。
診察は和やかな雰囲気始まった。共通項は同じ中高の出身であることと同じ大学の卒業生であることだから自然と話題はその二つが中心となった。話が弾み、診察どころではなくなったが、日常生活について問診し、基本的なテストは受けてもらった。その結果からも問診の結果からも何か薬を処方するレベルにはないと判断した。食欲もあるし、きちんと眠れるということだった。お酒を飲むと深酒をしてしまうというので控えているという。模範的な患者だ、もし患者だとしたらだけど。ジョーさんの状況は例えば休職するために会社に提出するような診断書が書けるレベルではない。だから「処方できる薬はありません」と申し上げた。ジョーさんは残念がるよりむしろホッとした様だった。ただ眠れるけれど、夜明け前に目が覚めてしまうというので睡眠薬を希望されたが、人によっては副作用が強いからお薦めできないと伝えた。その代わりアイマスクを薦めると「試してみます」と言われ「今度オサム君を交えて3人で食事に行こう」と約束し、帰っていかれた。
【ミカの独白】
オサムの紹介でトモヒロ先生の病院へ行きました。眠れへんし、食欲はないし、突然全身に発疹が出るし。病院へはオサムがついて来てくれはりました。
診療室に入ると優しそうな雰囲気で背が高くロン毛(笑)のトモヒロ先生が椅子から立ち上がってうちを迎えてくれ、最初に「オサムが言っていた通りのベッピンさんですね」と言わはりました。言われ慣れていることなので(笑)時にはムッとしてしまんやけど、その時はなぜか緊張が解けたような感覚になりました。いくつか質問された後、「ナナさんはどんな人でしたか?どんな関係だったかも教えてください。ゆっくりと慌てずに、でも頭に浮かんだこと話してみてください」と言わはりました。それまでの質問は最低限の回答しかできへんかったのに、自分でも不思議に思うほど一気に喋りはじめました。
「思い出があり過ぎて、何から話していいか迷いますう。でも学校時代のことから話してよろしい?
ナナとうちは京都の中高一貫校の女子高に通ってました。おつむのええ学校(笑)。うちの方が2学年上で、仲良うなったのはうちが高校生になってから。ナナはまだ中学生、そりゃあ有名人やった。真面目な子が多い中でナナはめっさ不良やったさかい(笑)。校則は厳しかったけど、ナナだけは治外法権。今おもうてもよう退学にならなかったなあと。ナナは先生への媚び方天才的です。うち?まあナナと知り合うまでは真面目(笑)。そやけど私見た目ぇ派手で。パパはイギリス人でハーフやさかい否応でも目立つし。特に中学部はセーラー服で、今は分るけどうちが着るとえらいエロくてある種の男性陣(笑)を刺激するですわ。よくナンパされました、変態に(笑)。モデルを始めたのは高校生の時。ナナの紹介です。ナナもクオーターで日本人とは違った雰囲気を醸し出していたから需要があったんでしょうね。中学生の頃からちょこちょこ活動していました。もちろん?学校にバレたら即退学です。きい付けて慎重に活動していました。あっ、ナナはそうでもなかったかな?(笑)。
卒業した後はうちは指定校推薦で東京の大学へ入りました。2年後ナナも上京してきて。ナナは美大に入りはりました。二人で同じ事務所に所属して毎日のように会ってましたね。
上京してからのナナは自由奔放さに磨きがかかって、モデル業だけでなく、銀座でも働いてはりました。銀座いうたら魑魅魍魎が住まう世界やけど、ナナはとにかくジジイ殺しですから、可愛がられはるんですよ。ファミリー企業のお爺ちゃんがナナを特別気に入らはって「孫が一人増えたようなもん」と、ベルギーの美術学校への留学費用を出しはったんです。うちもそのおこぼれに預かっていい思いをさせてもらいましたけど。だからなのかそのお爺ちゃんが亡くなった時のお葬式にはナナはもちろん、なぜかうちも出席しましてん(笑)
こんな風にうちの方が年上だけど、いつもナナの後を追いかけていました。だから何が辛いってもうナナを追いかけらへんことです。そしてうちは随分ナナを頼っていろんな相談事をしてたのにナナが悩みをうちに打ち明けたことなんてなかった。この事を考えると堪らのうなります。先生、ナナはうちのこと親友って思ってなかったのかしら?どうして思い詰めとったんならうちに相談してくれへんかったん?先生、どうしてやろ?
【由美との対談】
ナナの日記を読んでから、由美さんから頻繁に連絡が入る様になった。取り留めのない話を携帯で交わすのが日課になっていく。最初は由美さんの意図がよく分からなかったが、「ジョーちゃんの声を聞くと安心する」と言われた。由美さんは取り乱すことなく気丈に振る舞っていたけど、きっと悲しみのどん底にいるのだろう。残念ながら血を分けた娘を失った母親の気持ちをジョーは想像することができない。でも電話で少しでもホッとするならお安いご用だ。
と同時にジョーにも下心があった。トモヒロ先生に言われて姫の思い出を書き始めたのが、困ったのはジョーが姫のことをほとんど知らないということだった。何度も食事を共にしたのに、姫の好き嫌いは知らないし、一番の好物が何であるかも思い当たらない。姫は描く人でもある。彼女の作品をいくつも観たことはあるし、何度も美術館に行き、その後はアートについてたくさん話し合ったと思っていたが、姫の好きな画家、そして惹かれる色合いなどについては聞いたことがない。基本自分が喋るばかりで姫の話を聞いていなかったということなのだろう。だから姫との思い出を書けば書くほど、姫が見えなくなり、そしていくつものWHAT、WHYそしてHOWだけが浮かび上がる。そこで由美さんに姫のことをあれこれと聞こうと思った。待ち合わせは三条の老舗カフェ。姫との想い出が詰まった店でもある。由美さんとの会話は許可を得て携帯で録音させてもらった。
「由美さん、わざわざありがとうございます」
「そんな畏まらないで。私も誰かとおしゃべりしていた方が落ち着くから」
「手続きは完了したんですか?」
「もう少し時間がかかりそう。日本側も早いとは言えないけど、スペインの方はもっとのんびりというかとにかく時間がかかる。まあ、内容が内容だから仕方ないかもしれないけど。」
「そういえば由美さんって京都生活が長いのに京都弁というか関西弁出ませんね。東京生まれですよね?」
「そやで、江戸っ子や(笑)。家があったのは御苑近く。そうそう、私、麹町小学校、麹町中学校卒なのよ。エリート(笑)」「へえ、知らなかった。新宿は学区外じゃないですか?」
「父は政治家だったのよ。だから越境入学」
「父って、失礼ですけど、由美さんも婚外子ですよね?」
「そうよ、母は赤坂で芸妓をしてました。でも父は認知してくれたんです。だからお父さんって呼んでましたよ。麹町の学校に越境させたのは父です。私の顔を近くで見たいからって」
「えっ?由美さんのお父さんって国会議員だったですか?」
「そうよ。随分前に亡くなったけど、多分ジョーさんも名前は知っていると思う」
「いやはや、ナナの事聞く前に由美さんの話で時間無くなりそうですね。僕でも知ってるってことは由美さんのお父さんは大物政治家ですよね?誰なんです?」
「それは言わないことにしているの。でもそっくりなのよ、私。だから見る人が見るとすぐわかる」
「お父さんってどんな人でした?」
「政治家としての評判は微妙なんだけど、とにかく優しい人だった。誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントは必ず貰っていたし。しかもメッセージカード付き。ロマンチストで、母が好きになるのもよく分かった。それから本人じゃないけど、筆頭秘書が授業参観とか運動会とかは来てくれた。その秘書さんを私はパパって呼んでたわ(笑)。そうだ、今思い出したけど、私の卒業式には本人も来た。来賓としてだけど(笑)」
何をもってして「普通」とするかは厳密にいえば難しいけれど、由美さんの人生と比べればやっぱりジョーのそれは普通と思わざるを得ない。由美さんの話は「波瀾万丈」という言葉では収まりきれないものだった。もちろん姫の人生にも大きな影響を与えたことだろう。
限られた時間の中で、このままでは姫の話題まで辿り着けそうになかったので、一旦話を中断してコーヒーのお代わりと姫も大好きだった自家製チーズを注文する。そして改めて姫のことをあれこれ聞いた。すると由美さんは噛み締めるようにゆっくりと姫のことを語り出した。ジョーの質問に少し俯いて黙ってしまうこともあったが、基本楽しそうに時には笑い声を立てながら話を続けた。予想通り、というか由美さんが語る姫は、いかにも姫らしいエピソードが満載で、ジョーを微苦笑させる。ただベルギー留学時代のエピソードはジョーの知らない姫がいた。ベルギーに留学中は週末、教会でボランティアをしていたという。そこで日本食を振る舞ったり、茶道のお手前を披露していたと由美さんは何だか嬉しそうに語り続ける。施設を訪問してそこの子達に着物を着せたり、一緒におにぎりを作ったりもした。由美さんの携帯にはその時の画像がたくさん保存されていて、見せてもらうとそこには全く別の顔を持った姫がいた。特におにぎりを子供たちと一緒に頬張る姫の写真に大きく心を揺さぶられた。ジョーが見たことない優しそうな笑顔の姫がそこにはいたからだ。
姫は「ジョーの良さを一番よく知っているのは私よ」とよく言ったものだった。そうかもしれないと思うこともある。しかし今日由美さんから色々と話を聞いてジョーは姫のことを知らなかったしそして分かってもいないということを痛感させられた。
【ジョーの懺悔その1】
トモヒロ先生に話さなかったことが一つある。それは時々姫の声が聞こえてくるということだ。幻聴であるのは自分でも分かっていたし、言えば何か薬を飲まさられると思ったから。姫の声といっても意味を結ぶことはまれであることも告白することを躊躇させた。
最初に姫の声が聞こえてきたのは1月末のことだったと思う。場所は東洞院通にある靴屋の前だった。お互いオーダー靴をプレゼントし合った思い出の店だ。しかし聞こえてきたのは確かに姫の声だったけれど、チューナーの合ってないラジオから聞こえる雑音のようで何と言っているかは分からなかった。思わず「姫、聞こえないよ、なんと言ってるの?」と声に出してしまった。昼間の人踊りの多い東洞院通だったから行き交う人が奇異な目でジョーを見る。残念ながらここで姫の声が聞こえてきたのは一度きりで何度か通ってみたが二度と聞こえてくることはなった。
それからも思いがけない場所で姫の声が聞こえてきた。雑音のようで意味を結ばない場合が多かったけれど時に短い言葉だがはっきりと聞こえることがあった。例えば由美さんと会うためコーヒーショップのドアを開けた時、「ありがとう、ママをよろしくね」とはっきり聞こえた。
またフラグメーカーさん(あのフラグメーカーさんです)と祇園四条の水炊き屋で会食をした時もはっきりとした姫の声が聞こえてきた。この水炊き屋は姫も大好きだった店で京町家の文法法則に則っている。間口が狭く奥行きあり、よく言われるようにウナギの寝所を彷彿とさせる。店としてはどうしてもデットスペースができるから効率が悪いが、それを逆手にとって小部屋に分けることで、独特の雰囲気を醸し出している。訳ありの密会にはピッタリの人気の店だ。ここへフラグメーカさんをお連れしたのは下心もあって、意味のある姫の声が聞こえるかもしれないと思ったから。フラグメーカーさんも幸いこの店を気に入ってくださって「雰囲気もあるし、美味しい店ですね」と言ってくださった。二人とも上機嫌で水炊きに箸を進めながら杯を重ねたのだった。そしてそれはジョーが用を足すべく、部屋を出たトイレへと続く廊下で起こった。今まで以上にはっきりと姫の声が聞こえたのだ。
「ここに来たのね。誰なの?あの男性は」
「フラグメーカさんというだ。変態だよ、ジョーと同じくらい。好きでしょう?」
「良いわねえ、楽しそう」
閑話休題。フラグメーカーさん、「変態」ジョーにとっては褒め言葉です。男性会員同士が隠れ家的な水炊き屋で密談するって、どう考えても「変態」でしょ?
楽しく会食を終え、まだ早い時間だったので、すぐそばにあるお茶を改築したバーにフラグメーカーさんをお連れした。ここもまた姫お気に入りの店だ。カンターに座り、それぞれ好みの一杯を注文した。
「良いバーですねえ。それに何だかジョーさんがカッコよく見えますよ」
ああ、そういうことね。姫はここに来ると「おかしいなあ、ジョーがカッコよく見える」と言ったものだった。つまり、姫がフラグメーカーさんに乗り移ったのだ。もうフラグメーカーさんが姫にしか見えない。だから安心してジョーの打ち明け話をすることができたし、愉快な時間を過ごすことができた。ありがとう、フラグメーカーさん、誘ってくれて。この日ジョーは久しぶりに笑ったんですよ。
【ジョーの懺悔その2】
一日中心が塞がれていてもジョーのささやかな如意棒まで塞がれることはなく、時に起立してしまう。だから不特定少数の女子からお誘いがあればヒョコヒョコ出掛けて行ったし、ジョーから誘うこともあった。ジョーは自分の性技に全っくもって自信はないが、どの女性も個性的でそれぞれの魅力があり、会えば話は弾むし、何より素晴らしい腰使いを披露してくれる。以前のジョーは「セックスはおまけのようなもの」と嘯くこともあったが、今ではそれ抜きの付き合いを想像できないし、彼女たちとの逢瀬の頻度は増していた。
世那は「九州爆乳娘」の一員だが、ロサンゼルス在住の日系アメリカ人と結婚したこともあり、しばらく疎遠になっていた。それが「一時帰国しているからジョーちゃんに会いたい」と連絡が来たのだ。あんまり乗り気がしなかったので「京都まで来てくれるならいいよ」と半ば投げやりに返事をすると思いがけず「京都まで行くよ」と返事があった。慌てて店の段取りをし、ホテルも奮発して二条城近くの高級ホテルを予約した。
まず世那を連れて行ったのは室町にある京料理の店。市内外に何店舗あるが、ジョーは(そして姫も)室町のお店が一番好きだ。安くはないけれど、他の有名店のように気分が悪くなるほど高くもなく、何より味がこの価格帯では一番だというのが贔屓にしている理由でもある。
京都駅で待ち合わせをし、タクシーで移動する。ここまた京町家を改装した店で長い廊下を渡り切ったところにオープンキッチンのカウンター席があり、中央の席に案内された。まずは気軽なスパークリングワインで久しぶりの再会を祝った。すると例のチューナーの合っていない雑音が聞こえ始め、世那の声がよく聞き取れない。姫が邪魔しているのは間違いないから心の中で呟いた。「姫、世那とはそんな関係ではないんだよ(ちょっと嘘)、今日は世那の結婚祝いで食事に招待しただけ。この後セックスするつもりもないんだよ」
今日の姫はものわかりが良いようで、 すぐに雑音が止んだ。改めて互いの近況報告をする。
「どう?、新婚生活は?」
「まだバタバタして落ち着かいない。グリーンカードを取るまでに一年以上かかるみたいだし。だからしばらくは数ヶ月ごとにアメリカと日本を往復しなければならないのよ。まあ、願ったり叶ったりだけど」
「へえーアメリカ人と結婚してもグリンカード簡単に取れないんだね」
「そうなのよ、それだけ偽装結婚が多いってことらしいの」
「なるほど。普段旦那さんとは日本語で話すの?」
「彼は大学時代交換留学生で1年間日本にいたからかなり怪しい日本語だけど言いたいことは理解できる。でも難しいことや興奮すると英語になるの。私の英語がterribleだからそんな時は何言ってるかわからない。喧嘩にならなくて良いけど」
世那とは宇宙倶楽部ではなく、仕事を通じて知り合った。ジョーはずっと好意を持っていたけれど、関係を築くまでは随分と時間がかっかた。ジョーはモテないし、女性を口説くということが苦手だが、世那は数少ない例外だ。どうしてジョーが選ばれたか、今でもよく分からない。ただ世那にはいつも複数の彼氏?がいた。
性に関して奔放な世那だがお手当はもちろん交通費さえ受け取らないし、食事も割り勘が基本だった。でも世那は金の掛かる女だ。何かプレゼント(例えば誕生日とか)をお願いされる時は値段に関係なくそして相手の財布の厚さに関係なく自分の欲しいものを躊躇なくねだった。まあまあ高価な時計(7桁に近い)買わされたこともあったし、独立し個人事務所を構えた時は「ジョーちゃん(世那はこういう場合だけ「ちゃん」付けになる)にはOA関係を担当させてあげるね」と7桁の請求書が廻されてきたこともある。だから今回ジョーとしては奮発して彼女のために高級ホテルを予約したのは、これ以上結婚祝いと称して高額なプレゼントを請求されないための工夫なのだ。ジョーは一緒に泊まるつもりはなかったし、変なところで倫理的な世那は人妻となった今、たとえジョーが求めても応じないだろう。
今日も美味しい料理を堪能でき、世那も喜んでくれた。そして最後に和菓子と番茶が出てきた時、恐れていたこと起こった。
「ねえ、ジョーちゃん、結婚祝いおねだりしていい?」
本音は「よくない」と言いたいところだし、世那との関係性からいって断ることもできるだろう。でもジョーは心とは裏腹の返事をする。
「そうだねえ、おめでたいことだから何か贈らないといけないね。何がご希望かな?」
「パリに連れて行って欲しいのよ」
「パ、パ、パリ、ってフランスの?」あまりに意外で思わず吃ってしまう。「そうよ、他にどこがあるのよ。ダメ?「ダメじゃないけど、それはニューダーリンの役目じゃないかなあ」
いやはやどう考えても旦那の役目だ。
「ダーリンの趣味はサーフィンなんだけど、サーフィンのできないところは全く興味を示さないのよ。それにジョーちゃんと一緒に行きたいの。パリに詳しそうだから色々案内してもらえそうだし」
「国内ならともかく、海外、ましてヨーロッパはそれほど気軽に行けないよ。世那、君、新婚なんだぜ。万一ダーリンにバレたらどうするの?今のセレブ生活を失うだけでは済まないよ」
世那のダーリンは成功した実業家(50代バツイチ)でロサンゼルス近郊のゲートエリアにプール付きの邸宅を構えている。料理は世那の担当だけれど、その他の家事は日替わりでやってくる家政婦がこなす。週に三日ダーリンの秘書とし市内のオフィスで働く。週末はビーチに行って旦那の趣味であるサーフィンに興じ、高級レストランで食事を共にする。車は三台あり、テレビドラマに出てきそうなセレブ生活を送っていることを今聞いたばかりだ。
「さっきも言ったように私、しばらくは日本とアメリカを往復する生活が続くの。ダーリンが東京にマンションを借りてくれてパソコンでできる仕事を手伝ってるけど、全然負荷が足りなくて暇でしょうがない。国内をウロウロしていたら携帯の位置情報でダーリンの機嫌が悪くなるし」
国内で機嫌が悪くなるんだったらパリだとどうなるんだろう?
「その点なら大丈夫。ダーリンも知っている私の親友がロンドンにいるんだけど、まずはロンドンに行って、彼女とパリ観光に行ったことにすれば良いのよ。完璧でしょ?」
ねえ、世那、あなたにとって完璧でも僕にとっては全く完璧じゃないんだよ。そもそもいくらかかると思ってるだよ、パリまで。まさか「友達の分もお願いね」って言ったりしないよね。そもそも人の妻になった女性へのプレゼントでパリに連れて行くって話、聞いたことある?
というのはジョーの心の叫びだが、この言葉が口から叫ばれることはなく、何だかんだで、パリ行きが決定しました。しかも「パリに行く時の練習しなくちゃね」とホテルの部屋に拉致されてしまった。そして部屋では世那が徐に服を脱ぐ。当然週末のサーフィンで日焼けした、引き締まったエロエロの肢体が露わになり、そうなればジョーの控え目な如意棒も辛抱たまらんの状態になり、意に反して日付が変わってもin&outを繰り返したのだった。付け加えると途中、例の雑音が聞こえたような気もするが、世那の叫声でかき消されたので気にならなかった(苦笑)。
兎にも角にも再来週から(苦笑)パリだ。