「交際倶楽部の言葉学『いたたまれない』」その2
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どこかで奇跡を望んでいた
店に着くと社長は不在だったけれど、社長夫人である専務が対応してくれる。
勝ち誇ったような妻と顔が引きつるジョーを満面の笑顔で迎える専務。
妻は前もって店に電話していた。
「ジョー様、ついに奥様の願いを叶えるのですね。さすがです。」
専務の言葉が嫌味にしか聞こえない。
いつもなら軽口で反撃するジョーだがそんな余裕はもちろんない。
随分昔だけど2回ほど「咥えたり咥え込んだり」した仲なのにもう少し優しい言葉はかけられないのかとは思ったけれど。
専務と妻も言葉を交わす。
しかしジョーの耳には全く入らない。
さらに恐ろしいことに今までの買い物では案内されなかった別室へ案内された。
まずはコーヒーと高級チョコレートが運ばれる。
これも今までになかった対応だ。そして専用のトレーに載せられた幾つかの指輪が登場。
それを手に取り、時には指にはめながら指輪を物色している妻。
専務もあれこれ相槌やアドバイスを送る。
ジョーの方はと言えば思考回路が変調をきたしていたが、きたしていたからこ
そどこかで奇跡を望んでいた。そんなことはあるはずがないのに。そもそもこ
の場合の奇跡って何だ?
えっ?そんなはずはないんだけど
専務と妻は長々とあれこれやりとりをし、ついに
「これにする」
と妻が宣言した。
左手の薬指にはめた指はジョーに示す。ジョーにとっては良いことと悪いことが一つずつ。
良いことの方はどうやら指輪を買うのは1個で済みそうなことだ。
(二人の会話はよく耳に入ってこなかったが、あろうことか途中専務は
「迷われているなら両方お買いになったらどうですか?」
と言っていた。殺すぞ、陽子!)
悪いことの方は妻が選んだダイヤモンドがとっても大きいことだ。
知識は全くないジョーだったがダイヤモンドの値段は基本大きさに比例するんだろう。
この時のジョーはいたたまれないと言うより、この世の終わりを迎えたような気分だった。
ついにお会計の段になった。再び指輪がトレーに載せられ、横に値札が置いてある。恐る恐る値札を確認するジョー。
「えっ?そんなはずはないんだけど」
「これで禊は済んだ」と思った。
そうなのだ、どう考えてもそんなはずはない。
でもその時のジョーは冷静な思考能力が失われていたし、
希望的観測というか奇跡を望んでいた。
だから値札の数字の先頭が「7」で、全部で6桁であることを疑問には思わなかった。
もう一度書く。
ブラックカードを持たされ、別室に案内され、その部屋ではコーヒーと高級チョコレートが提供されて、6桁はあり得ない。
いつもなら何度も数字を見直すだろう。
しかし前述したようにその時のジョーは一時的にせよ精神に異常をきたしていた。
この指輪の値段が6桁であることを何の疑問に思わなかった。
逆に悪徳政治家のように
「これで禊は済んだ」
と思った。そして心の中で沸き起こる笑みを抑えるのに必死だった。
さすが我が妻だ、ジョーの懐事情をよく心得ている。
この値段ならブラックカードは必要ないが愛する(!)妻のご所望だからこのカードを使おう。
おもむろにブラックカードを差し出すジョー。
妻の目的は兵糧攻めだ。
専務はそれを恭しく受け取るとレジへと向かう。ややあって専務はカード、レシート、そして電話の子機を持って再登場。
「ジョー様。決済額は問題ないんですが、カード会社が本人確認をしたいと申しております。電話に出ていただけますか?」
とジョーに子機を手渡す専務。
うむ?6桁で本人確認?どういうことだ?子機に耳を当てながらトレーに載せられたカードとその横のレシートをジョーは確認した。
その数字を確認したジョーに再び戦慄が走る。
禊は済んでいなかった。
そこにあった数字は
先頭が「7」ですぐその横に「,」が付いていた。
つまり一桁違っていた。そりゃあ、本人確認いるわな。
「ジョー様、この度は弊社のカードのご利用ありがとうございます。大変恐縮ですが、本人確認のためいくつか質問をさせて頂きます。その前にお支払い方法は如何いたしましょう?リボ払いもご利用いただけます。」
恐ろしい金利がつくのは分かっていたが、リボ払いの方がもちろん有難い。
しかし妻の目的は兵糧攻めだ。その妻が聞き耳を立てて前で「リボ払いで」とはとても言えない。
同時に専務の魂胆も了解した。子機をここまで持って来たのはリボ払いを阻止するためだ。専務と妻は結託している。
妻を愛しているので日頃の感謝のしるしに
陽子!君は
「ジョーのチ◯ポが陽子の一番気持ちいいところに当たる!」
と言ってたじゃないか!恩をあだで返すのか!
実際にこんなことを口にしたらJアラートが鳴り響き、何が起こるか分からないからもちろんできない。
でも悔しい。
何か反撃をしたい、覚えてろよ、陽子、いつかヒィーヒィー言わせてやる!
「一括払いでお願いします」
やっとの思いで口にするジョー。喉から出血しているかもしれない。
「ありがとうございます。それでは本人確認に移らさせて頂きます」
いくつかの質問があった。笑ったのは「最初に飼われた犬の名前は?」という質問があったことだ。
言われてみるとそんなキーワード?を登録したような気がする。
「ありがとうございました。本人確認は終了しました。最後に差し支えなければ今回の商品の購入動機を教えて頂きますか?」
大いに差し支えがある。でも妻が側で聞き耳を立てている。滅多なことは言えない。
「妻を愛しているので日頃の感謝のしるしに」
妻に聞こえるようにわざと大きな声で話したが、完全に逆効果だった。
専務からは苦笑が妻からは失笑が漏れる。
ただただ「いたたまれない」思いでレシートにサインするジョーであった。
弾劾裁判の始まり
しかしこれまでの「いたたまれない」はほんの序の口に過ぎなかった。
伊勢湾台風級(例えが古くてごめんなさい。さすがにジョーも生まれてないです)の本格的な嵐が吹き荒れたのは帰宅後だった。
ダイニングテーブルに座らせられるジョー。弾劾裁判の始まりだ。
机の上には過去(主に交際していた頃)ジョーが妻に書き送ったハガキや手紙類、500通以上が置かれていた。
そうなのだ、いかにもガサツそうな外見にも関わらずしかも自他共に認める面倒くさがり屋に関わらずジョーはとっても筆まめだ。
ただし、恋をしたとき限定ですけど、この手紙類が机に置かれたので、離婚は言い渡されることはないとジョーは確信した。
この行為は妻からの反省を促すメッセージなのだ。
正直、見つかった手紙の内容は離婚を宣告されても言い訳ができないものだったが、まずは胸を撫で下ろすジョーだった。
ジョーには離婚経験はないけれど、周りの経験者から離婚するには身も心も消耗する負のエネルギーを要すると聞いていたからだ。
そもそも妻にとってジョーは大事な金ヅルだ。離婚しないで搾り取ったほうが得だと考えたのかもしれない。
と同時にジョーは自分に対する妻の愛情を疑ったことはない。
だってジョーも妻が「まあまあ」好きだからだ。
それに夫婦間の2重スパイである娘によれば「なんだかんだ言ってママはパパのことが大好きなんだよ」という報告も受けていた。
ただし、娘のリポートには注意が必要だ。ジョーを気持ちよくさせるリポートとお小遣いの要求とは密接な関係があるからだ。
しばらくの間真っ赤な血で染まった。
それにしても最終的に妻からはどんな裁断が下さられるのだろう?恐れおののきながらそれを待つジョーであった。
妻の下した裁断はジョーにとって過酷なものだった。妻の目の前で愛人(玲子)に電話して別れろというのだ。
もちろんジョーに選択肢はない。震える手で携帯を手にするジョー。
いつもの明るい声で玲子が出た。何から話していいか全くわからなかった。でも要件をできるだけ手短に伝えた。
「妻に君からもらった手紙が見つかった。妻に君(普段は「君」なんて言わない。)との関係がバレた以上もう付き合えないよ。ごめんね。」
一瞬の沈黙。でもすぐに玲子は答えた。
「わかったよ。でも突然だとやっぱりびっくりするね。どうせ、ジョーが手紙をその辺に投げておいたんでしょう?お家に帰ったらすぐに書斎にしまうように言ったのに。」
「ごめん」
「起きたことは仕方ないわ、そこに奥さんいるんでしょう?代わってくれる?」
ジョーが一番恐れていた要求だ。でも玲子の声には問答無用の響きがあった。
妻に携帯を渡した。少し驚いたようだったが妻も毅然と携帯を受け取る。
それから約20分女同士の会話が続く。玲子の口調はわからないが、妻の口調から察して穏やかな口調だろうと想像できた。
しかし少なくとも妻の言葉はその口調はその穏やかにも関わらず怒気を含んでいた。
玲子の魅力の一つが気の強さだ。
おそらく玲子も一歩も引き下がらなかったのだろう。そしてこの間、ジョーは「いたたまれない」という言葉の本当の意味合いを痛感することになる。
何も考えられなかったし、このまま消え入りたいと思った。
ジョーにとって「いたたまれない」という言葉の用例としてこれ以上ふさわしい場面はなかった。
止まない雨はないという。そしてジョーにとっては弩級の嵐であったこの出来事も不思議なことに穏やかな日がやってくる。
もちろんタダという訳には行かない。
妻にも玲子にも7桁が必要だった。ジョーの個人口座はしばらくの間真っ赤な血で染まった。
ところでこの話には続きがある。お察しかもしれないが、玲子との付き合いは細々であるがその後2年間続いた。
最終的に別れたのは今年の3月だ。
この別れがジョーを交際倶楽部に入会させた大きな動機になった。その別れについてもいかにもジョーらしいお粗末な?エピソードがある。
ネタに困った時に綴ってみたいがしばらくは他のネタもあるのでそちらを優先したい。