昔は綺麗だった、とよく言われるようになった。
そこまで年がいってるわけではないのだけど、年がいくたびに年齢や生活習慣、薬の影響もあってかなり見た目が変わってしまった。過食嘔吐を繰り返したり、精神的な病もあって、ずいぶん太ってしまい、今では昔の面影もない。
可愛かった、綺麗だった。そんな言葉に縛られたくない、と思いながらも心の内は正直だ。昔の恋人や、昔のわたしの写真を見た人たちが「えー!綺麗だったのに…」「可愛かったなあ、昔は」なんて冗談めかして言うたびに、嬉しい気持ちと最悪な気持ちがフィフティ・フィフティ。いや、正直言うとたぶん、最悪な気持ちが8割だ。だって、今のわたしは綺麗じゃないんだもん。
二十歳を過ぎて、メイクも上手くなって。服も自分に何が似合うか分かり始めると、「綺麗だ」と言われるようになる。もちろん、本当に中身を見て綺麗だね、と言ってくれる人は少ないけれど。大体下心があるし、大体ホテルに誘われる。「穴モテ」なんて言葉もあるけれど、そういう時期は確かにある。
そんな自分が嫌になって、中身を見てくれる人なんていない!なんて拗ねていると、あっという間に"賞味期限切れ"。女盛りなんて言葉、最悪だけど周りの人間にはやっぱりあるらしい。
最近、ルッキズムという言葉が流行している。ルッキズムとは、「見た目が可愛い、綺麗、かっこいい、逆にブサイク。そんな風に見た目だけで人を判断したり、陰口を言ったりする「ルック」に囚われること」だとわたしは解釈している。外見だけで判断するなんてやめてほしい、と思うけど、いくら大声でそんなことを主張したって、大勢の人間は変わらない。
わたしたちはいつまで、見た目に囚われなきゃいけないんだろう、なんて憂鬱な気分になる。だけど、やっぱり可愛いとか綺麗だ、と言われると、嬉しくなってしまう。一番見た目を気にしてるのは、わたしなんだって気づいてまた嫌な気持ちになる。そう、わたしは最悪。
若い頃に顔で稼いどかなきゃ!とか、若いうちが花よ!なんて言葉を頻繁に聞くし、平気でお母さんたちも言う。
パパ活は、まさに「若い時期を売る」ことだと思っている。いわゆる"女性の賞味期限"が切れないうちに、男性からお金をもらう。芋虫がチョウチョになった瞬間、成長してすぐの、「若い女」の期間限定品。そして一般的に言われるその期間は、とても短い。
10代後半から20代まで。パパ活をして太いパパを見つけられたら、ずっと続く可能性もあるけれど、そのためにも若いうちに捕まえておかないといけない。見た目を磨いて、知識も蓄えて、お金も貯めて、賞味期限を伸ばすためにひたすら努力、努力、努力。
どれだけ努力し続ければいいんだろう、なんて先の見えない将来に不安になることもあるけれど、目の前の生活を楽しむことで忘れている自分もいる。歳を取れば、結婚だ、出産だ、なんて周りの女の子たちと比較しては隣の芝生が青い日々。
パパ活を始めるのは簡単だけど、続くパパを捕まえるのには何十倍もの体力がいる。連絡だってこまめにしなきゃなんないし、管理だって大変だ。高いレストランに連れて行ってもらっても、お腹いっぱい食べられない。太らないために努力しなきゃいけないし、化粧品も美容院もお金がかかる。
昔は綺麗だった、と言われないための「今」と向き合い続けるのは本当に大変だ。維持費もメンテナンスもいくらかかると思ってんの?なんて思う。
わたしは昔を褒められるたびに、心のどこかがズキッと痛む。だから今の生活に、いつまで経っても満足しない。まるで飢えた狼のように、美と若さを求めながら、社会という荒野をさまよっている。
ルッキズムなんて撲滅しろ!と思うけど、おそらく私たちが「人間」である限り、きっと無くなることはない。人は見た目が9割、なんて言うもんね。
私は水卜ちゃんにはなれないし、大谷選手にもなれない。でも、だからこそ「私」には、誰もなれない。過去の恋愛やセックス、どんな経験もきっと顔に滲み出る、と信じるしかない。
だから私たちは"今"の努力を惜しまないでいよう。愛嬌も笑顔も知識も。私たちがいつだって素敵でいられるように。
もちろん太ったってあなたは素敵だし、ほうれい線やシワができても素敵だ。だって、素敵って言われるように努力し続けてきたから、きっと。見た目に囚われる日々だけど、歳をとっても愛される人間になるために、明日も笑顔でいよう。笑顔になりきれない現実と戦いながら。
誰かはきっと、私たちのことを見ていてくれるから。神様なんているかいないか分からないけれど、善行も悪行も、好きだと伝えて振られた惨めさとか、お金に悩んで死にそうになる今日とか、そういうの全部誰かが見てくれていますように。年齢が上がるにつれて難易度があがる、人生という名のRPGのゴールが、どうか幸せなものでありますように。
夜になったら不安で眠れなくなったり、お金を数えてると安心する自分だったり。そんな正直な自分を、どうかわたし自身が愛せますように。誰にも愛されなくても、わたしはわたしのことを愛していたい。
だからこそ、努力を惜しまない。
時々は息抜きしてね、人生に真剣になりすぎないでね。私たちは自分のことを愛するために、きっと生きているから。
大好きだよ、わたし。
そう胸張って言える日が早く来ますように。