パパ活。
今ではP活と言うのが一般的で、パパ活女子の略、いわゆる「pj」が隠語として使われているのも若い女の子の間では当たり前に知られていること。
pjたちやパパたちが読むこのコラムを依頼された時、一番最初に私が考えたのは「過食嘔吐」だった。
pjたちは日々、お手当をもらうために生きている。
着たくもない服を着て、言いたくもないことを言って、やりたくもないことをする。
お金をもらうためなら仕方ない、と割り切れる子もいれば、お金をもらうためだけにそんなこと、と思う人もいる。
価値観は人それぞれ、と言って仕舞えば元も子もないけれど、限りなくグレーな存在だからこそ魅力的に映る。
それがお金を産む秘訣なのだと思う。
そんな彼女たちがパパに連れて行かれる場所はそう、高級なレストランや料亭だ。
ここに関しては、pjたちがインスタにアップするための場所でもあり、パパとすれば可愛い女の子に美味しいものを食べさせてあげたいという需要と供給のマッチだ。
しかし、食べ物をアップし、ご飯を美味しそうに食べ、パパを喜ばせる彼女たちの体型はどうだろうか?
おそらく9割の女性が痩せているだろう。
なぜ食べているのに痩せているのか?
もちろん頑張ってダイエットをしている子もいるだろう。
でもそのほとんどは、過食嘔吐と闘っているからだ。
過食嘔吐とは、その言葉通り、多くのものを食べて吐いてしまう、かのダイアナ妃もかかっていたとされる摂食障害のひとつだ。
「p活 過食嘔吐」とTwitterでエゴサすれば、たくさんの女の子が苦しい気持ちを綴っている。
過食嘔吐をするためにp活をしている子もいれば、パパを喜ばせるために!とたくさん食べて、過食嘔吐をする子もいる。
私にも過食嘔吐の経験がある。
過食嘔吐は、自分で食をコントロールできなかったり、ストレスで食べすぎてしまったり、痩せることに固執しすぎることで吐いてしまう病気だ。
今の日本では、やせ信仰がとても根強く、女の子たちは日々、自分の体重とひたすら闘っている。
そんな女の子を見れば、きっとパパたちは言うだろう。
「痩せてなくたっていいんだよ」
でも女の子は知っている。
彼らの言うぽっちゃりは、私たちの「痩せている」に入ること。
こんなにも価値観が違う男女の中で、ほんの少しの風で、倒れそうなシーソーゲームを繰り返しているのがp活なのだろう。
過食嘔吐すれば痩せられる、たったそれだけの、簡単なことを知ってしまったからこそ、彼女たちはそれに苦しんでいる。
ボディポジティブなんて言葉も流行しているけれど、彼女たちの耳には入らない。
それをさせているのは今の現代社会だから。
可愛い子の条件は「モデルみたいな子」。
そのモデルたちが痩せていて二重で、なんていろんな条件がある中で審査されるpjたちは、まさに社会をサバイブしていると言って差し支えない。
パパたちが求める理想の女性像にはほど遠い女の子もいるだろう。
けれど彼女たちも日々努力しているし、自分のことを嫌いになりながら必死に明日を向こうとしている。
そんな、孤独でつらい気持ちをパパとpjが分かち合えるのならば、それは現代社会にとって新しいコミュニケーションになるのではないだろうか。
確かにお金でつながった関係ではあっても、お互いが世の中に存在してもいいと認め合うことができる双方向のコミュニケーションは、必要なことだと思う。
pjにとって一番大切なことはお金だ。
でもその次に大切なのが、自分の存在を認め、自己肯定感を高めてくれる存在がいることなのではないだろうかと私は思う。
みんなが自己肯定感が低いとされている現代で、メイクやファッションにいくら気を使っても「芋」と呼ばれてしまう世界線で。
私たちは毎日闘っているから、褒めてくれるひとが少しでもいてくれたら。
わたしはそんな風にいつも思っているから、pjたちもそんな気持ちが少しだけあるのではないかと思うのだ。
パパたちに褒められても嬉しくない、そんなの当たり前だと思う女の子たちも多いと思うけれど、それでも、やっぱり褒めてくれるひとがいる方がきっと良い。
見た目だけで判断される世界の中で、私たちができることはきっとまずは自分を認めてあげること。
自分を認める、それだけができなくて、苦しむpjたちも多いはずだから。
パパとのコミュニケーションの中で、男の人はこんなことを言ったら喜ぶんだとか、こんな風にしてあげればお金がもらえるんだとか、そういうことを学ぶ過程で自己肯定感があがるのなら、パパ活もひとつの選択肢として認められていいと思う。
お互いを尊重する、それは間違いなく正しいことだ。
パパ活というヒリヒリした探り合いの中で、お互いをよりどころにできる瞬間があるのなら、この冷たい社会の中で、きっと小さく灯った光なのだと。
過食嘔吐をする自分を認められなくてもいい、治せなくてもいい。
自分を肯定してくれる誰かを見つけるためにさまようゾンビになったような世界で、パパ活を通して少しでも自分を認められるなら、間違いだらけの世界で、正しいことになるのかもしれないと思うのです。