大人都度5万円で活動しているパパのマックさんです。
5万円っていう数字に関しては、是々非々あって、アプリで都度5万は神パパらしいし、東京のいわゆる港区女子界隈では「何それ、交通費?」ってレベルだったりします。
実際都度100万って案件もあると聞くし、また月極め300で、月に一度か二度、北新地に飲みに行くだけっていう楽なパパも実在します。
そんな太パパたちに比べれば、私などは零細パパですが、一回だけ、あるパパ活女子に宅急便で現金1千万円送ったことがあります。
なんで都度5万パパの私がそういう心境に至ったのか。
そこを紐解いていこうというのがこのコラム記事の主題です。良かったらお付き合いください。
ところで、これを書いているのは2月15日なんですが、今朝、まさにその娘からチョコを貰いました。
私は小さな会社を経営しているんですが、朝、会社に行ったら、私だけが利用する裏口のドアノブに引っ掛けてあった。
「バレンタインデーなのでチョコです。ワインと一緒に食べるためのチョコだそうです。良かったら召し上がってください」という手書きのメッセージカードが添えてありました。
ちょうどこのコラム書き始めたところだったので驚きました。なんてタイミング。
郵送じゃなくて会社まで持ってきてくれたっていうのが、胸キュンします。
きっと、朝家を早く出て、出勤途中に私の会社に寄ってくれたんだろうな。
ひょっとしたら私に会えると思ったのかもしれない。
もう何か月も会っていません。そしてこの先会うことは無いかもしれない。
お礼のラインは送ったけれど、返信はありません。
さて、気を取り直して、今日は恋愛について書いてみます。
パパ活では「疑似恋愛」とよく言われます。
恋愛のようであって恋愛ではない。
何じゃそれ?
そもそも恋愛ってどういうものだったっけ。
まずは恋から。
貴女は、男性に恋されるのと、男性を恋するのと、どちらが好きですか?
「恋される方が良いに決まってるじゃない!」って言う人が多いんじゃないかな。
私は60才過ぎて、人生を振り返って思うのですが、恋する側の方が幸せだと思う。
好きでも無い男性から告白されて、付きまとわれた経験無いですか?
あまり冷たくして恨まれたら嫌だし、何かと気を遣います。
時にストーカーのような目にもあう。
片思いって一種の暴力。恋している本人にはその自覚が無いだけに始末が悪い。
モテ男君、モテ子さんは、それが日常。
傍から見ると羨ましくも見えますが、本人たちにとっては面倒な作業でしかないでしょう。
男性アイドルに夢中な70才過ぎのおばあちゃんがいたとします。
傍目には微笑ましいけど、本人は真剣。
恋をしている。
モテ男君、モテ子さんよりも、おばあちゃんの方が幸せそうじゃないですか?
恋される側より恋する側の方のほうが幸せってそういう意味です。
愛について。
恋と愛の違いって微妙ですが、異性に対する激しい気持ちが恋で、対象がもっと広く穏やかな感じが愛かな。
共通しているのは他人に対する好きという気持ちです。
恋と愛には密接な関係があります。
人が生まれて最初に感じるのは、親からの愛でしょう。
そして育てられて、大人になって異性に恋をする。
恋をして幸せな気持ちになって、子供や周囲の人たちに愛を与える立場になる。
だから、恋は愛から生まれて、愛は恋から生まれます。
この循環がうまく機能しないと、恋愛不全に陥る。
愛したい、恋したいっていう欲求は強いのに、その土台が出来ていないと、愛されたい、恋されたいっていうように、気持ちの逆流が起きる。
十分に貰っていないのに、人に与えるなんて出来ない。
独占欲や嫉妬といった、歪んだ感情に置き換わってしまうこともあります。
恋愛感情と、独占欲と嫉妬。
この三つはまったくの別物です。
恋愛感情が乏しいのに、独占欲や嫉妬が強い場合はあります。
パパ活でいうなら「俺以外の男とは付き合うな」と命令してくるパパです。
あるいは「他の男と会ってるんじゃないか?」と詮索してくる嫉妬深いパパ。
話がそれましたが、健康な男女であれば、食欲や睡眠欲、性欲と同じように、恋愛欲もあるんです。
そして愛と恋とは循環して、人の心を幸せにする。
しかし、恋心は、モテ男さんモテ子さんの例でわかるように、時として相手に迷惑をかけます。
また、男性が既婚者であれば、相手女性に不倫のリスクを押し付けてしまう。
だからお金を払って恋をさせてもらいます。それが疑似恋愛。
パパ活での恋です。
もっとも、こういう健全な疑似恋愛ばかりならいいんですが、先に書いたように、愛されたい恋されたい、あるいは独占欲や嫉妬の絡んだパパも多いです。
一方、パパ活女子も、いや、パパ活女子の側こそ、恋愛不全に陥っている娘が多かったりします。
親の愛に恵まれず育ってパパ活やってる娘は多いですからね。
だけど、その一方で、愛したい恋したい男女もいるから、結局のところマッチングの問題なんでしょうね。
さて私は、こうやってもっともらしい蘊蓄を語っていますが、それでは私があの娘に送った1千万円は、疑似恋愛させてもらったことに対してのお礼だったのでしょうか?
いや違う、それは都度5で済んでいる。
恋愛の対価では無かった。
そこを自分でも確認するための、今回の記事でした。
文章化することで、自分の気持ちを整理しています。
そして私は、1千万円送ったことを、まったく後悔していません。
むしろ清々しい気分。
なぜなのだろうか?
今日はここまでにします。また次回、ごきげんよう。