お手当はパパのプライド- お手当20の女性の話

名古屋の個室すし屋での対面
ユニバース俱楽部のブラッククラスだった彼女と初めて会ったのは、名古屋駅近くの個室寿司店だった。プロフィール写真はイマイチだったが、「芸能人」というワードに反応してしまいオファーをしただけなので、あまり期待はしてなかった。
待ち合わせ場所に現れた彼女を見た瞬間、私は言葉を失った。
動画や写真よりも、圧倒的に美しかった。いや、美しいという言葉すら陳腐に感じるほどだった。身長は170センチ弱くらいだろうか、すらりとしたスタイルに、透き通るような白い肌。大きな瞳は吸い込まれそうなほど深く、鼻筋が通った顔立ちは人形のように整っていた。当時20歳だった彼女は、まだどこか初々しさを残しながらも、大人の女性としての色気を纏っていた。
「芸能人ってすげえな」
思わず心の中でそう呟いた。テレビや雑誌で見る芸能人は、画面越しだからこそ美しく見えるのだと思っていた。照明やメイク、カメラアングルの妙だろうと。しかし目の前にいる彼女は、そんな補正など一切必要としない、生まれながらの美しさを持っていた。実際、後に知ることになるのだが、彼女はまだ芸能事務所に所属しておらず、モデルなどで芸能活動を始めたばかりだった。
個室に案内され、向かい合って座る。彼女は少し緊張した様子で、メニューを眺めていた。その仕草さえも絵になる。私は経済的には余裕があったが、仕事が忙しく恋愛をする時間がなかった。いや、正確には時間を作る気力がなかった。パパ活という関係性は、そんな私にとって都合が良かった。お金を払えば、面倒な駆け引きなしに美しい女性と時間を過ごせる。そう割り切っていた。
「何が好きですか?」と私が尋ねると、彼女は少し考えてから「サーモンとウニが好きです」と答えた。声も美しかった。透明感があって、それでいて少しハスキーで、耳に心地よい。私は板前さんにおすすめのコースと、サーモンとウニを多めにお願いした。
最初はぎこちなかった会話も、徐々に打ち解けていった。彼女は芸能活動をしながらバイトも続けているという。地方出身で、芸能界を目指して上京してものの、うまくいかず名古屋に戻ってきたこと、実家とは少し距離を置いていること、夢は女優として大きな作品に出ることなど、少しずつ自分のことを話してくれた。
そして、なぜパパ活をしているのかという話になった。彼女は少し表情を曇らせながらも、正直に話してくれた。芸能活動だけでは生活費が賄えないこと、親に頼りたくないこと。だからといって普通のアルバイトをする時間もあまり取れず、効率的に稼げるパパ活を選んだのだという。
私はその話を聞きながら、彼女の中にある強さのようなものを感じた。ただ容姿が良いだけではない。自分の夢のために、世間体を気にせず合理的な選択をする芯の強さ。それは私がビジネスをする上で大切にしている価値観と近いものがあった。
食事が終わり、お会計を済ませた後、私はホテルに誘うことなく、そのまま彼女をタクシーに乗せて帰した。Cタイプだったのでホテルに誘える状況にはあったが、誘わなかった。私は「タクシー代」と言って封筒に入れた5万円を彼女に渡した。彼女は少し驚いた様子だったが、丁寧にお辞儀をして受け取った。
「また会ってもらえますか?」私が尋ねると、彼女は少し微笑んで「はい、ぜひ」と答えた。その笑顔を見た瞬間、私は彼女ともっと時間を過ごしたいと思った。それは単なる肉体的な欲求ではなく、もっと彼女という人間を知りたいという純粋な興味だった。
後から振り返れば、この日が、長い付き合いの始まりだった。
北海道旅行では大人なしで2泊3日で80万円払った
彼女と出会って約2ヶ月後、私は思い切って彼女を北海道旅行に誘った。
それまで月に3回のペースで会っていた。食事をしたり、ドライブをしたり、時には大人の関係を持つこともあった。お手当は毎回20万円。大人の日も、そうでない日も金額は変えなかった。それが私なりのルールであり、プライドだった。
彼女との時間は、いつも心地よかった。会話は弾み、笑いが絶えず、一緒にいて疲れることがなかった。美しい容姿だけでなく、彼女の内面にも惹かれていった。芯が強く、でも素直で、時に子供っぽい一面も見せる。そんな彼女といると、仕事で疲れた心が癒された。
北海道旅行の提案は、ある日の食事中に突然思いついたものだった。「今度、北海道に行かない?」と私が言うと、彼女は目を輝かせた。「本当ですか?行きたいです!」その反応を見て、私は誘って良かったと思った。
旅行の計画は私が全て立てた。札幌、小樽、富良野を巡る2泊3日の旅程。宿泊先は札幌のシティホテルと、富良野の温泉旅館を予約した。移動はレンタカーで、彼女が好きそうなレストランやカフェもリストアップした。
出発の日、空港で待ち合わせた彼女は、カジュアルな服装ながらも相変わらず目を引く美しさだった。周囲の視線を集めながら、私たちは飛行機に乗り込んだ。
新千歳空港に降り立つと、そこには名古屋とは違う冷たい空気が流れていた。10月の北海道は既に秋が深まり、紅葉が美しい季節だった。レンタカーを借りて、まずは小樽へ向かった。
小樽の運河沿いを歩きながら、彼女は子供のようにはしゃいでいた。ガラス細工の店に入っては綺麗だと歓声を上げ、オルゴール堂では様々なオルゴールに聴き入っていた。そんな彼女の姿を見ていると、普段芸能人として、そしてパパ活をする女性として見せる大人の顔とは違う、本来の20歳の女の子としての顔が見えた。
夜は小樽の寿司屋で食事をした。本場の寿司は格別で、彼女は「名古屋で食べた時も美味しかったけど、ここのは次元が違う」と感動していた。私はその表情を見ているだけで満足だった。
札幌のホテルに戻り、ホテルの部屋に入ると、彼女は「こんな部屋初めて」と目を丸くしていた。広いリビングと寝室、そして札幌の夜景が一望できる大きな窓。私は特にそうとは言わなかったが、この旅行では大人の関係を持つつもりはなかった。寝室は彼女に使ってもらい、私はソファで寝ると伝えた。
彼女は少し驚いた様子だったが、「ありがとうございます」と言って寝室へ向かった。その背中を見送りながら、私は自分でも不思議に思った。なぜ大人の関係を持たないのか。答えは簡単だった。この旅行は、お金で買う関係性ではなく、純粋に彼女と楽しい時間を過ごしたかったからだ。
翌日は富良野へ向かった。ラベンダー畑はもう終わっていたが、秋の花々が美しく咲いていた。彼女は花畑で写真を撮りまくっていた。その姿は、まるでグラビア撮影のようで、通りすがりの観光客も足を止めて見ていた。
夜は温泉旅館に宿泊した。部屋付きの露天風呂があり、彼女は大喜びだった。夕食は部屋食で、北海道の海の幸と山の幸をふんだんに使った豪華な会席料理が並んだ。食事をしながら、彼女は自分の夢について熱く語った。いつか大きな映画に出演して、多くの人に感動を届けたい。そのために今は下積みの時期で、パパ活で稼いだお金も全て自己投資に使っている。演技のレッスン、ダンスのレッスン、語学の勉強。
その真剣な眼差しを見ていると、彼女が単なるパパ活女子ではなく、明確な目標を持った一人の人間なのだと改めて感じた。そして、そんな彼女を応援したいと思った。
最終日、札幌に戻る前に寄った展望台から見た景色は圧巻だった。広大な北海道の大地と、どこまでも続く青い空。彼女は「ここに来られて良かった」と呟いた。私も同じ気持ちだった。感謝の気持ちとしてお手当80万円を渡した。大人はしなかったが、売れていないとはいえ芸能人を2泊3日チャージしたわけなので、これくらいが妥当だと思った。
周囲の人間に話せば、間違いなく馬鹿だと言われるだろう。しかし私にとって、この旅行は金額以上の価値があった。彼女の素顔を見られたこと、二人だけの思い出ができたこと、そして何より、彼女が心から楽しんでくれたこと。それが何よりも嬉しかった。
空港で別れる時、彼女は「本当にありがとうございました。一生忘れません」と彼女は少し涙を浮かべていた。私も別れが少し寂しかった。しかしこれがパパ活の良いところでもある。お互いに依存せず、適度な距離を保ちながら、良い関係を続けられる。そう自分に言い聞かせた。
その後、都度20で月3回デート
北海道旅行から戻った後も、私たちは定期的に会い続けた。月に3回、多い時は4回。お手当は変わらず都度20万円。大人の関係がある日も、ない日も、金額は一定だった。
私にとって、お手当の金額は非常に重要だった。それは彼女への敬意の表れであり、同時に自分のプライドでもあった。安い金額で女性を抱いて満足感を得るなんて、私には考えられなかった。むしろ逆で、高額なお手当を渡すことで、自分のビジネスが成功している実感を得られた。
パパ活という文化において、男性側のお手当の額は、ある意味でその人の市場価値を表す。都度5万円の男と、都度20万円の男では、明らかに後者の方が女性から選ばれる。それは単なる金額の差ではなく、その人が持つ経済力、成功の証、そして女性を大切にする姿勢の表れだと私は考えていた。
もちろん、20万円というお手当は決して安くない。月に3回会えば60万円、年間で720万円になる。しかし私にとって、それは投資だった。彼女との時間は、仕事で疲れた心を癒し、明日への活力を与えてくれた。そして何より、彼女という美しく聡明な女性と過ごす時間そのものに、それだけの価値があると感じていた。
会う場所は様々だった。名古屋市内の高級レストランで食事をすることもあれば、東京や大阪まで足を延ばすこともあった。時には彼女の希望で、カジュアルなカフェやラーメン屋に行くこともあった。彼女は意外と庶民的な一面もあり、高級店ばかりではつまらないと言った。
ある日、彼女が「遊園地に行きたい」と言い出した。20歳という年齢を考えれば当然の希望かもしれないが、パパ活で遊園地というのは珍しい。しかし私は快諾し、次のデートでナガシマスパーランドに行くことになった。
平日の遊園地は比較的空いていて、待ち時間も短かった。彼女はジェットコースターが好きらしく、何度も乗りたがった。私は絶叫系が得意ではなかったが、彼女の楽しそうな顔を見たくて付き合った。観覧車の上から見た景色は美しく、彼女は「こういうデート、高校の時に憧れてたんです」と言った。
その言葉を聞いて、私は少し複雑な気持ちになった。彼女が本当に欲しいのは、こういう普通のデートなのかもしれない。お金持ちのパパとの関係ではなく、同年代の彼氏との純粋な恋愛。しかし現実は厳しく、彼女は夢を追うためにお金が必要で、私はそれを提供する立場にいた。
遊園地の後、ホテルに向かった。部屋に入り、まだドアも完全に閉まっていないくらいのタイミングで彼女は情熱的に舌を絡めてキスをしてきた。そのまま私はベッドに押し倒され、服を脱がされて激しいフェラ。そして彼女とのSEXで初めてゴムをつけないまま彼女は私の上に自らまたがってきた。情熱的な腰の動きと時折の激しいキス。圧倒された私はあっという間に耐えられなくなり、「だめ。出ちゃう」というと「出して。私の中にいっぱい出して!」と言われ、そのまま私は彼女の中に自らの全てを出し尽くしたのであった。
別の日、彼女から「今日は何もしたくない。ただ一緒にいたい」と言われたことがあった。その日は彼女の部屋に行き、映画を見たり、他愛のない話をしたりして過ごした。大人の関係は持たなかった。しかし帰り際、私はいつものように20万円を渡した。彼女は「今日は何もしてないのに」と言ったが、私は「君と過ごす時間に対してのお手当だから」と答えた。
実際、私にとって彼女との時間は、身体の関係があろうとなかろうと価値があった。彼女と話すこと、笑うこと、同じ時間を共有すること。それら全てが、私にとって意味のあることだった。だからお手当の金額は変えなかった。それが私なりの誠意であり、彼女への敬意だった。
月に3回のデートは、私の生活のリズムの一部になっていた。仕事で大きなプロジェクトが成功した時も、失敗して落ち込んだ時も、彼女に会えば元気になれた。彼女もまた、芸能活動での嬉しいことや辛いことを私に話してくれた。オーディションに合格した時の喜び、役をもらえなかった時の悔しさ、人間関係での悩み。
私たちの関係は、パパ活という枠組みを超えて、何か別のものに変わりつつあった。しかしそれが何なのか、当時の私には明確には分からなかった。恋愛とは違う、友情とも違う、でも確かに特別な何か。それを定義する言葉を、私はまだ持っていなかった。
3度の別れを経て
パパ活という関係性において、「付き合う」とか「別れる」という言葉は適切ではないかもしれない。しかし私たちの間には、確かに3度の「別れ」と「復縁」があった。正確に言えば、私が3回、彼女との関係を断ち、そして3回とも関係を再開した。
1度目の別れは、出会ってから半年後のことだった。
きっかけは些細なことだった。約束の時間に彼女が1時間以上遅刻し、その理由が「友達と話し込んでいて忘れていた」というものだったのだ。連絡もなく、悪びれる様子もなかった。私は待っている間、仕事の合間を縫って来たことを思い出し、苛立ちを感じた。
しかしそれは表面的な理由に過ぎなかった。本当の理由は、彼女の人としての部分に疑問を感じたからだった。その日のデート中、彼女は店員に対して横柄な態度を取った。注文の仕方が雑で、料理が遅いと文句を言い、会計の時もサービスタッフさんたちへの感謝の言葉がなかった。
私は人を評価する時、その人が自分より弱い立場の人にどう接するかを見る。それはビジネスでも人生でも同じだ。上の人には愛想よく、下の人には横柄。そういう人間は信用できない。彼女のその態度を見て、私は一緒にいたくないと思った。
その日の終わり、ホテルに行く前に、私は彼女に告げた。「今日で最後にしよう」と。彼女は驚いた様子で理由を聞いてきたが、私は詳しくは説明しなかった。ただ「このまま続けるのは良くないと思った」とだけ言った。
彼女は泣きながら「何がいけなかったのか教えてほしい」と懇願したが、私は心を鬼にして帰った。後から彼女からメッセージが何度も来たが、私は返信しなかった。お手当の20万円はその日の分として渡した。それが最後のけじめだと思った。
しかし2ヶ月後、彼女から一通のメッセージが来た。「あの日、私が何をしたのか、後から考えました。店員さんへの態度のことですよね。本当に申し訳ありませんでした。あれから自分の振る舞いを見直しています。もう一度、会ってもらえませんか」
私はそのメッセージを何度も読み返した。彼女が自分の非を理解し、それを認めて謝罪してきた。それは簡単なことではない。多くの人は自分の非を認めたがらず、相手のせいにする。しかし彼女は違った。それで私は、もう一度会うことにした。
再会した彼女は、以前とは明らかに変わっていた。店員への態度は丁寧で、感謝の言葉を忘れなかった。時間も約束の15分前に到着していた。私はその変化を見て、彼女との関係を再開することにした。
2度目の別れは、それから1年後だった。
彼女の芸能活動が少しずつ軌道に乗り始めた頃、彼女の態度に再び変化が見られた。SNSでのフォロワー数が増え、小さな仕事が入るようになると、彼女は徐々に傲慢になっていった。「私、最近忙しいんですよ」「ファンが増えて大変で」そんな言葉が増えていった。
決定的だったのは、彼女が他のパパとの話を私の前でし始めたことだった。「この前、別の人からこんなプレゼントもらったんです」「あの人は月極で100万くれるって言ってて」。それは明らかに、私からもっと多くのお金を引き出そうとする駆け引きだった。
私はパパ活をビジネスライクに捉えていたが、同時に人としての誠実さは求めていた。他のパパはOKと伝えてあったので問題ないが、他のパパの話を持ち出して金額を釣り上げようとする行為は、私にとって許容できなかった。それは人としての品性の問題だった。
その日、私は彼女に告げた。「もう会わない」と。今度は理由も伝えた。「君が他のパパの話を持ち出して、僕から更に金を引き出そうとするのは、人として良くないと思う。パパ活は構わない。でもそのやり方は好きになれない。」
この時の別れは、前回よりも長く続いた。半年間、彼女からの連絡はなかった。私も自分から連絡しなかった。正直、もう会うことはないだろうと思っていた。
しかし半年後、彼女から再びメッセージが来た。「あの時、私は本当に愚かでした。パパ活という関係性に甘えて、あなたの気持ちを踏みにじっていました。お金をくれる人としか見ていなかった。でもあなたは、私を一人の人間として見てくれていたのに。本当にごめんなさい」
そのメッセージには、以前とは違う深い反省が感じられた。会ってみると、彼女は本当に変わっていた。謙虚で、感謝の気持ちを忘れず、そして何より、お金の話を一切しなかった。私は再び、彼女との関係を再開した。
3度目の別れは、さらにその半年後だった。
この時の理由は、前2回とは少し違った。彼女が仕事のストレスから情緒不安定になり、私に八つ当たりをするようになったのだ。会う度に愚痴ばかり言い、私の話は聞かず、時には理不尽な怒りをぶつけてきた。
私は彼女の話を聞き、支えようとした。しかし度を越えた時、私は限界を感じた。「君のストレスのはけ口になるために会っているわけじゃない」と告げて、再び関係を断った。
この時の別れは、お互いにとって必要だったのかもしれない。彼女は自分の精神状態を整える時間が必要だったし、私も少し距離を置く必要があった。
3ヶ月後、彼女から連絡が来た。「クリニックに通い始めました。自分の問題と向き合っています。あなたに甘えすぎていました。本当にごめんなさい」。そして続けて「もう一度会ってくれとは言いません。でも、私が変わったことをいつか見てほしい」と書かれていた。
私はその誠実さに打たれた。3度目は、彼女が関係の再開を懇願してきたわけではなかった。ただ自分の非を認め、謝罪し、変わろうとしていることを伝えてきただけだった。それは他の多くの人にはできないことだ。
私は彼女に会い、そして3度目の復縁をした。この時、私は気づいた。私が彼女を3回もフったのは、彼女が嫌いだからではなかった。逆だった。彼女のことを大切に思っているからこそ、彼女の人としての成長を願っていたのだ。そして彼女もまた、私との関係を大切に思っているからこそ、自分を変える努力をしてくれた。
パパ活という関係性において、こんな深い繋がりが生まれるとは思っていなかった。お金で繋がった関係のはずが、いつの間にか、お互いを高め合う関係になっていた。それは恋愛とは違う、でも確かに特別な絆だった。
今では「戦友」
そして今、彼女と私の関係は、さらに進化した。
彼女の芸能活動は順調に進み、ついにテレビに出れるまでになった。小さな作品ではあったが、彼女にとっては大きな一歩だった。その後も仕事は増え続け、彼女はついにパパ活を卒業した。
最後のパパ活デートとなった日、彼女は私に告げた。「もうパパ活はやめようと思います。ここまで支えてくれて、本当にありがとうございました」。私は「おめでとう」と言って、その日も変わらず20万円を渡した。これが本当に最後のお手当になると思っていた。
しかし驚いたことに、それから1ヶ月後、彼女から連絡が来た。「ご飯、一緒に行きませんか?お手当とかじゃなくて、ただ会いたいんです」。私は少し戸惑ったが、会うことにした。
会った彼女は、相変わらず美しかった。いや、以前よりも輝いていた。自分の力で夢を掴み始めた女性の自信が、彼女をさらに魅力的にしていた。食事をしながら、彼女は仕事の話を楽しそうに語った。そして「あなたがいなかったら、今の私はいません」と言った。
「パパ活って、普通は嫌な思い出になるものだと思うんです。でもあなたとの時間は違った。お金をもらっていたけど、同時に人として大切なことをたくさん教えてもらいました。私が間違っていた時、ちゃんと怒ってくれた。見捨てずに、何度もチャンスをくれた。あなたは私にとって、パパというより、人生の先輩であり、戦友のような存在なんです」
戦友。その言葉は、私たちの関係を完璧に表していた。一緒に戦ってきた仲間。山も谷も経験し、お互いを支え合い、そして共に成長してきた。確かに私たちは戦友だった。
その日から、私たちの関係は新しいステージに入った。お手当はなし。交通費すら渡さない。彼女が会いたいと言った時だけ会う。私から誘うことはない。それでも月に1、2回は連絡が来て、一緒に食事をしたり、ドライブをしたりする。
そして時には、大人の関係を持つこともある。しかしそれはもはや、お金のためではない。お互いに求め合って、自然な流れで。それは以前とは全く違う、もっと自由で、もっと対等な関係だった。
ある日、彼女が言った。「あなたと会うと、素の自分に戻れるんです。芸能界では常に誰かに見られていて、演じている自分がいる。でもあなたの前では、何も取り繕う必要がない。それがすごく楽なんです」。私も同じ気持ちだった。仕事では常に経営者としての顔をしている。でも彼女の前では、ただの一人の男でいられる。
彼女の恋愛事情も変わった。同じ芸能界の男性と付き合い始めたと聞いた。私は素直に祝福した。「幸せになれよ」と。彼女は「ありがとうございます。でも、たまにはあなたにも会いたいです」と言った。私は「彼氏に悪いだろ」と笑ったが、彼女は真面目な顔で「あなたとは違うんです。彼は彼、あなたはあなた」と答えた。
実際、彼女に彼氏ができた後も、私たちの関係は続いた。頻度は減ったが、それでも数ヶ月に一度は会った。そして時には、彼氏の愚痴を聞いたり、恋愛相談に乗ったりもした。不思議な関係だが、それが私たちには心地よかった。
今、彼女は芸能人として確実に階段を登っている。SNSのフォロワー数も大きく伸びて、ファンイベントも開催している。あの頃、パパ活をしていた20歳の女の子が、今では立派な芸能人になっている。
時々、あの頃を思い出す。初めて会った名古屋の寿司屋。北海道旅行。3度の別れと復縁。全てが懐かしく、そして全てが今の私たちを形作っている。
先日、久しぶりに彼女から連絡が来た。「会いたいです」と。私たちは名古屋の、あの日と同じ寿司屋で会った。彼女は以前よりもさらに垢抜けて、オーラがあった。でも話し方や笑顔は、あの頃のままだった。
食事を終えて、彼女は言った。「あの日、この店で会ったこと、覚えてますか?」。私は「もちろん」と答えた。「あの時、私はただのパパ活女子で、あなたはお金を払うパパだった。でも今は違う。私たちは戦友。これからもずっと、そうでいたいです」。
私も同じ気持ちだった。お金で始まった関係が、お金を超えた関係になった。それは奇跡のようなことかもしれない。でも私たちは、その奇跡を共に作り上げてきた。
その日は大人の関係も持たず、ただ話して、笑って、そして別れた。お金も渡さなかった。でもそれで良かった。私たちの関係は、もうお金では測れないものになっていたから。
彼女が去っていく背中を見送りながら、私は思った。パパ活を始めた時、こんな関係性になるとは想像もしていなかった。でも今、私は確信している。彼女と出会えたこと、あの日あの寿司屋に行ったことは、私の人生で最も価値のある選択の一つだったと。
そしてこれからも、私たちの戦友関係は続いていくだろう。互いに成長し、互いを高め合いながら。それがどんな形になるかは分からない。でもそれで良い。私たちには、もう定義は必要ないのだから。
なぜお手当が都度20だったか
最後に、なぜ私が都度20万円というお手当にこだわったのか、その理由を書いておきたい。
パパ活の世界では、お手当の相場は様々だ。都度3万円から始まり、5万円、10万円、そして20万円以上。金額は女性の容姿やスペック、そして男性の経済力によって決まる。中には月極で契約する人もいる。
私が都度20万円に設定したのは、単純に彼女が美しかったからというわけではない。もちろん、それも一つの理由ではある。彼女レベルの容姿であれば、20万円は妥当、むしろ安いくらいかもしれない。しかし本当の理由は、もっと深いところにあった。
それは、私自身のプライドだった。
私は起業家だ。最初は小さな案件から始まり、徐々に規模を拡大し、あるいは地獄のように売り上げが下がったこともあった。その過程は決して平坦ではなかった。失敗も挫折も経験し寝る間も惜しんで働き、リスクを取り、時には全てを賭ける決断もした。
そうして築き上げた成功。そこで得たお金。それは単なる数字ではなく、私の努力と覚悟の結晶だった。そのお金を使う時、私は常に「これは自分が勝ち取ったものだ」という誇りを感じていた。
パパ活においても、それは同じだった。いや、むしろパパ活だからこそ、その誇りは重要だった。
安い金額で女性を抱いて、「俺は女を買えるんだ」と満足する。そんな自己肯定感の上がり方は、私にとって価値がなかった。むしろ逆だった。それは自分の価値を下げる行為だと思っていた。
私が求めていたのは、成功者としての自己肯定感だった。「自分のビジネスがこれだけ成功しているから、これだけ高いお手当を払える」。その事実が、私の努力が報われたことの証明であり、自分の価値の確認だった。
だから私は、最高レベルのお手当を渡したかった。彼女が芸能人レベルの美貌を持っているからこそ、最高額を払う。それが私のプライドであり、ビジネスの成功を実感する方法だった。
そしてもう一つ、重要なことがあった。それは、お手当の金額を一定に保つことだった。
多くの男性は、大人の関係がある日は高額を払い、ない日は減額する。それは一見合理的に見える。しかし私は違った。大人の日も、そうでない日も、お手当は必ず20万円だった。
なぜか。それは、彼女との時間全てに等しく価値があると考えていたからだ。
確かに、身体の関係は特別な行為だ。しかしそれだけが価値ではない。彼女と話すこと、笑うこと、一緒に食事をすること、ドライブをすること。それら全てが、私にとって意味のある時間だった。むしろ、身体だけを求める関係なら、私はパパ活をしていなかっただろう。
だから金額を変えなかった。それは彼女へのメッセージでもあった。「君との時間は、何をしても同じ価値がある」と。それが私なりの誠意であり、彼女を一人の人間として尊重する姿勢だった。
振り返ってみれば、この方針は正しかったと思う。金額を変えないことで、私たちの関係は純粋さを保てた。「今日は大人ありだから高額、今日はなしだから減額」という計算がなかったからこそ、自然な関係が築けた。そして最終的に、お金を超えた関係にまで発展できた。
もちろん、年間で700万円以上を一人の女性に使うことは、決して安くない。普通に考えれば高級車が買える金額だ。しかし私にとって、その投資は十分に価値があった。
彼女との時間は、仕事で疲れた心を癒してくれた。ストレスの多い経営者生活の中で、彼女と過ごす時間は貴重なオアシスだった。そしてそれ以上に、人としての成長をお互いに促し合う関係になれたことは、お金では買えない価値があった。
今、彼女はパパ活を卒業し、私たちにお金のやり取りはない。でも時々、彼女が言う。「あの時、あなたが都度20くれたこと、ずっと忘れません。あれは単なるお手当じゃなかった。私への信頼と尊重だったんだと、今は分かります」。
その言葉を聞いた時、私は自分の選択が間違っていなかったと確信した。お手当の金額は、単なる取引価格ではなかった。それは、相手への敬意、自分のプライド、そして築きたい関係性の全てを表現するメッセージだった。
パパ活という関係性は、世間からは良く見られないかもしれない。お金で繋がる関係だと批判されることもある。しかしその中でも、どう振る舞うか、どんな価値観を持つかは、その人次第だ。
私は、パパ活を通じて自分のビジネスの成功を実感し、同時に一人の素晴らしい女性と出会い、人生の戦友を得た。それは都度20万円というお手当があったからこそ実現できた関係だと、今も信じている。
お金は手段だ。それをどう使うかで、その人の価値観や人生が表れる。私は自分が勝ち取ったお金を、自分のプライドと、大切な人への敬意のために使った。それが正しかったかどうかは、誰も判断できない。でも少なくとも私にとっては、最高の選択だった。
そして今も、あの頃の決断を後悔していない。むしろ誇りに思っている。なぜなら、それが今の私たちの関係を作り上げたのだから。








