今回は、前回の記事「パパがデート中に救急車で運ばれた時のお話」の続きを書きたいと思います。
その前に、Kパパとお付き合いに至るまでのいきさつを少し。
Kパパとは出会い系サイトより少し真面目なサイトで出会いました。
メッセージのやりとりをひと月位続け、顔合わせをすることに。
顔合わせはシティホテルのレストラン。
第一印象は「ずいぶん老けているな」でした。
プロフィールには50代と書かれていましたが、65才位に見えました。
中華を頂きながら色々お話しする中で70代と聞かされた時にはさすがに驚きました。
Kパパは小さな会社の経営者。
清潔感があり、優しく、紳士的でした。
楽しく食事し、メールを交換し、その日は解散しました。
それからは食事に行ったり、飲みに行ったり、遊びに行ったりしましたが、手を繋ぐこともなくKパパが私のことをどう思っているのかよくわかりませんでした。
数回健全なデートを重ねた後「さゆりちゃんを連れて行きたい所がある」と言われ、車で連れて行かれたのはKパパの別荘。
Kパパはその別荘のことを「海家」と呼んでいました。
さすがの私も男の人の家に行くことがどういうことかはわかります。
「突然のことで、心の準備もできていないので、今日の所は帰ります」とお断わりしました。
それでも「何もしないから心配しなくても大丈夫。部屋で話をするだけ。約束する」と一歩も引かないKパパ。
「何もしない」と部屋に連れて行って、本当に何もしない男性がいるでしょうか?
「行きたくない」と言っているのに私の気持ちを無視して海家に連れて行こうとするKパパに「結局Kパパも他の男の人と同じ」とガッカリしました。
でも、いつまでも子どものデートを続けるわけにもいかないので、もういいやと少し投げやりな気持になり、Kパパの後に付いて海家に入りました。
部屋に入るとKパパはカーテンを開け、窓を開けました。
カーテンを揺らす初夏の風。
明るい日差しが部屋を照らします。
「こっちに来てごらん」手招きするパパ。
窓からは庭に咲く花と輝く海とが見えました。
潮の香り。
波の音。
「ここは僕の隠れ家。どうしてもさゆりちゃんに見せたくて」
Kパパは私をソファーに座らせ、Kパパは少し離れた小さなイスに座って、子供の頃の話、離婚した理由、仕事のこと、娘さんのこと、正直に色んな話をしてくれました。
警戒心で凝り固まっていた私の心はKパパの側で少しずつ溶けていきました。
海家を出るまでKパパは約束通り私には指一本触れませんでした。
この人は信頼できる。
その時にKパパとお付き合いすることを決めました。
自宅の近くまで送ってもらい、車を降りる時に、「次のデートではもっと仲良くなりたい」と私から伝えました。
そして次のデートで大人の関係になり、封筒を頂きました。
最初は都度でくれていましたが、「毎回渡すのはお金の関係みたいで嫌だから」と月極でくれるようになりました。
さて、Kパパとお付き合いするまでのいきさつが長くなりましたが話を戻します。
前回の記事「パパがデート中に救急車で運ばれたお話」の続きです。
この事件の後、私は1ヶ月以上Kパパと会いませんでした。
また同じようなことが起きたらと考えると怖くて。
事件があった時は、Kパパと付き合いはじめて半年位の頃で、まだ関係も浅く、このまま別れても構わないと本気で思っていました。
事件後、ひと月以上Kパパからのお誘いを断り続けていましたが、救急車事件の時のことを直接聞きたいと懇願され、結局会うことに。
「さゆりちゃんは僕の命の恩人。本当に感謝している。ありがとう。直接お礼が言いたかった」
海辺をドライブした後、ホテルに行こうとしたパパ。
私はまだ心の整理がつかず、ホテルには行きたくないとKパパに伝えま した。
いつも私の気持ちを尊重してくれる優しいパパでしたが、その時だけは絶対に譲りませんでした。
ホテルの駐車場に着いても、なかなか車から降りずグズグズしている私を、「何もしないから。話をするだけ」と強引に連れていきました。
でも海家の時と違い、Kパパは何もしなくはなかったです。
結局もとさや。
あの時ホテルに行かなければKパパとは二度と会わなかったと思います。
Kパパもそのことを感じたからこそ強引に誘ったのでしょう。
何年も経ってから「あの時はさゆりちゃんを手放してはいけないと恥も外聞も捨てて必死だった」と照れくさそうに話していました。
それからKパパとは良いお付き合いが長く続きますが、ある日予期せぬ悲しい別れがやってきます。
その話はまたいつか書ける時があれば書くかもしれません。
最後までお読み頂きありがとうございました。
さゆり