2021年11月17日
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【実録】パパから「マンション」を与えられた話〜今、すべて語ります。

突然ですが、
私がパパ活で【パパから欲しかった物】ベスト3♡

①お金 ②マンション ③(会社などの)役職

これら全てが手に入ったら、人生は安泰!?
…との保証はできかねますが、お手当てはもちろん、生きていく上で必須の「住まい」って、貰えた日にはウハウハです!

今日はそんな、愛人時代の私の「住まい事情」について。

 

■実家を出たかった私



自分より遥かに年上の男の人と遊ぶようになって、何となく「パパ活」のようなことをし始めたのが、大学を卒業したばかりの頃。

そこから専属おひとりのパパの「愛人」となったのが、社会人になって一年目の終わり頃でした。

当時、神奈川にあった実家から職場の東京・港区に通う毎日はとても苦痛で。
何より、まだまだ遊びたい盛りだった私は実家の厳しい両親の存在に辟易していました。
いい加減に実家を出たいけれど、都内に住むお金なんてない…。一体どうすれば。


そんな折に出逢ったのが、愛人をすることになった彼。

「お茶しようよ」と声をかけて下さったのをキッカケに、頻繁に会うようになりました。そして、普通にお食事したり会って話すだけで、会う度に「車代」としてお金を渡されるようになっていって…。

度々チラつくお金に、見たことのない華やかな世界。もう、楽しくない訳がない!♡
自称・優等生気質で「いい子」だったはずの私ですが、次第に家に帰らなくなっていきました。当然ですがそんな事を繰り返せば、親は心配ゆえに娘への圧力を増していきます。

この頃、親子関係は最悪でした。

「あーもう、親がうざい!」。

顔を合わせるのもどんどん辛くなっていって…。

 

■理解を示してくれたパパ



「家に、帰りたくないんです」

ある日、私はパパにそう打ち明けました。
二人で会うようになってから、3ヶ月程した頃のこと。
演技でも何でもなく、当時、本当に実家に帰るのが嫌で嫌でたまらなかったのです。

そんな私に対して、彼はなんと、
港区にある私の職場近くのシティホテルに「一週間分の部屋」を取ってくれました。

そしてホテルステイも残り僅か、というタイミングで

「この先、長期に渡って住むことを考えるなら、
きちんとした『住まい』があった方が落ち着くよね」
「その方が経済的だよね」

という話になり

「マンション、借りてあげようか?」

という願ってもいない言葉がパパの口から飛び出したのです。


わぉ♡

賃貸ではあるけれど、
"マンション、ゲットだぜ!"

に王手をかけた私は(してやったり♡)と内心ニンマリでございました。

 

■いざ、港区女子へ!



ですが、実はその後、
彼と出会ってから目まぐるしく刺激的な日々を過ごしていた私は、激しく体調を崩し、数日間病院に入院することになってしまいます。


…とは言うものの、ここからが"貪欲女"の凄いところ。

会社へ行かず、実家からも離れているこの期間を"絶好の機会"と捉えた私は、入院生活中に「愛人生活の土台づくり」に取り掛ったのです。

入院中のある日、私はタイミングを見て病院を抜け出し、パパの乗るタクシーに合流しました。
そして、彼の知り合いの不動産屋さんがリストアップしてくれた「賃貸マンション」数件を、足早に回ること半日。

翌日からは、全面的にパパの協力を得て、各種書類の記入、初期費用の支払い、保証会社も押さえ、なんと最終的に退院前に、港区の賃貸マンションの契約まで漕ぎ着けたのです!

扁桃腺を腫らしまくり、ともすれば呼吸困難に陥りかねないコンデション絶不調の中での、底知れぬ貪欲っぷり&それに裏づけられた行動力!

念願の「港区女子」に、私も遂になれるのだ…!!!

喜びと期待を胸に、退院の日を待ちました。



ちなみに
実家・神奈川から港区への「お引越し」は、あって無かったようなもの。

退院後、実家から必要最低限の、それこそ"一泊二日"みたいな少量の荷物だけバッグに詰めて、なんて事ないように「行ってきます」と仕事に行くフリをして母親の姿を見たのを最後に、私はしれっと「パパが借りてくれたマンション」に移り住んだのでした。
 

■羨ましい?でも「鳥カゴ」なんだよね…



さて、
「分譲マンション」のプレゼントでこそないけれど、憧れていた港区の「賃貸マンション」に住み始めた私。

やったぁ♡これでもう一生幸せに生きていける!
万歳三唱じゃ足りないくらい幸せ!♡

と思っていたのも束の間、
結局、パパとの関係は2年で終わりに向かいます。

というのも、私が限界を迎えたから。


与えられていた「マンション」って、言い換えると「鳥カゴ」なんですよね。
夢のないことを言うようですが、どこかに飛んでいかないよう、パパの手の届く範囲で女の子を生活させるための囲い。

思い起こせば、平日の仕事終わりに友人と会ったのって、「2年間で一度だけ」です。「一度だけ」ですよ!?
基本的に、行かせてもらえなかったんです。
「仕事が終わったら、まっすぐ帰ってきなさいよ」
それが彼の口ぐせでした。


私のパパが、とりわけ厳しかったのかもしれません。
分譲マンションなどの買い上げた物件を充てがわれていたら、また事情は違ったのかもしれません。

でも、ひとつ言えるのは、
「住まい」を人様に提供してもらうということは、翻って考えれば、自分の人生におけるあらゆる権限を赤の他人に預けること、もしくはそれに限りなく近い行為だということ。
だって、その人次第で、自分の住む場所の確保の如何が決まる。それはつまり、多かれ少なかれその人によって自分の人生が左右されるということ。

パパの顔色を窺うあまり、大好きな友人たちから「付き合いが悪い」と言われても決して会えずに距離ができ、どんどん孤立していく自分が哀れになってくるあの感じといったら…。


私の人生って「贅沢」と「お金」と「パパ」を抜いたら、この先いったいなにが残るー?

そう考えた私は、入居から2年目の契約更新のタイミングで、パパ、そしてマンションに「お別れ」を告げたのでした。






今、港区の「鳥カゴ」を出て3年7ヶ月が経ちます。

浴びる程のお金こそないけれど、
ようやく、自由に外の世界を飛び回っていた「愛人前」の感覚を、少しづつ取り戻し始めているところです。


Writer: 
自分の「女」としての市場価値を知るべくパパ活・愛人活動を開始。20代半ばに2年間、愛人をしていました。当時の悲喜交々、また再現性の高いハウツーなどを共有できれば幸いです。

藤崎 みきの記事

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