2022年5月20日
今月: 6 views | 全期間: 600 views

ドブスがパパを見つけて「500万円」貰うまでを2000字でまとめてみた。

世の中にパパ活をしている女の子はたくさんいます。私もかつてその一人でした。
人生の一時期に集中的にパパ活して、今は既卒組。
そんな私の「パパ活の始めから終わりまで」をザっと共有させていただきます。

よくこんな超低スペックで稼げたもんだな、ときっと貴女も思われるはずです。
 

■男の人に相手にされなかった私

放っておいても周りからチヤホヤされて…
みたいな人生の始まりではありませんでした。むしろ真逆。生後数か月でアトピー性皮膚炎を発症した私は、「朝起きればシーツと枕が血で染みだらけ」という残酷な幼少期を過ごします。写真を撮られるのは大嫌い。今でも少し傷は残っていますが、中学生くらいまでは「どうして私はこんな風に生まれてきてしまったの!」と不遇を嘆き、毎日が悲劇のヒロインでした。なんて言うか、「可愛くない」の前に「可哀そう」な見た目の幼少期~思春期でした。男なんて寄ってくるはずもなく…。

■女としての市場価値を知りたい!

そして女子高生になった私は、日常行動圏内での「男女のときめき」に見切りをつけ、ネットの世界に活路を見出します。まだ"パパ活"なんて言葉が登場するずっと前、出会い系まがいのサイトで男漁りをしては、オフラインで会ってデートを重ねる日々。高校から大学にかけて、そんなことばかりしていました。数十人の男の人に会ったと思います。
こんな私でも数をこなせば多少「女」は磨かれるようで、ある時から「このくらいの男の人なら落とせる」みたいなラインが出てきます。でも、「このくらいの男」の人に言い寄られても、正直なんの得もない。そして、その程度の男の人しか引き寄せられない私ってそもそも「この程度の女」なのだと、身に染みて痛感。

「私の価値って?」
「女としての評価を知りたい!」

そんな問いを人生の命題として据えた大学卒業間近、卒業後の私の進路はというと…。

■接客業in港区でパパ候補さがし

現実的な選択肢として、私が目をつけたのは、港区にあるカネの匂いのプンプンする(笑)飲食店。男性の方も女性の方も来店される、ちょっと高級な、けれど水商売ではない普通のお店です。卒業後の進路として、正社員で勤務。傍から見たら、マジメな選択だと思います。

しかし、"若い女"という特権を行使できる職場であり、かつ人生経験が豊富で、それなりの地位と金を持つ男性と接触できそうな働き口であることは間違いない。悪くない"パパ狩り場"では?
そんな見通しを立てつつ、大企業の社長さんや、時にはメディア関係・芸能界の方々を接客する日常業務の中で、それとなく「お金を握らせてくれ」たり、「名刺を渡してくる」お客さんなどが出てくるようになります。個人的に外でお会いする男性のお客さんも出てきました。
 

■パパとの出会いと、その後の展開

パパとなってくれる男性と出会ったのは、勤務開始10ヶ月が経った頃でした。
お店での勤務中、私が灰皿を交換しに行った時に、顔見知りのギラギラした(笑)以前からちょっと気になっていたオジさまが、「ねぇ、お茶しようよ」って名刺を渡してくれたのです。気さくで素敵で、聞くところによれば社長さん。これは…行くしかない!自分の容姿ダメ・色気ナシのスペックを百も承知で、数日後、死ぬほどドキドキしながら震える指先で電話番号を押しました。そこから全てが始まったのでした。

恥はかき捨て。人生には、ここぞという場面がいくつかあります。このチャンスを逃さず偉かったと、当時の自分を誉めてあげたいです。

さて、彼の言葉をそのまま信じれば、「ボクは雇われ社長だから」と言う彼の「手取りは月130万位」だったそう。賞与などを含めなければ年収1500オーバーくらい、でしょうか。比較的年配の御方だったパパ様は、「お金の使い道もなくて」と話していたのを覚えています。
彼との関係はとんとん拍子で、電話から3ヶ月半後には出会うキッカケとなった飲食店の近くにマンションを借りてくれて、「お手当のあるお付き合い」をするようになったのでした。頂いたお金はトータル500万円程。私からサヨナラを切り出すまで、ちょうど2年のお付き合いでした。

■結局は運が良かったのかも?でも…、

男に縁の無かった女が、「お手当て」と「港区のマンション提供」まで漕ぎつけた。運なのかもしれません。

でも、出来ることは全部やってきたつもりです。
本能に忠実&欲望に従順に、自分から動いたこと。親との確執を承知で、妻帯者の男性と長期的な関係を持つ(つまり愛人になる)選択をしたこと。
当然ながら、自分の魅せ方・体づくりなど、常にアップデートしながら勉強し実践してきました。

そして何より、
幼少期から根を張るコンプレックス="己のブスさ加減"を自覚しながらも、それでも、常に自分を下げなかったこと。自分で自分を下げたら、何もかもおしまいなので。(ここ大事♡)

■【オマケ】500万円の内訳公開

最後に、当時の会社のお給料以外の収入を、家計簿アプリのデータを基にこっそり公開します。(他の人には内緒だよ)

2年間の合計…5,060,000円

□1年目… 計2,890,000円
お手当て※)2,180,000円
物件代)   410,000円
家具家電代) 300,000円

□2年目… 計2,170,000円
お手当て※)2,170,000円



「お手当て」の半分くらいは家賃に充てられます。それ以外は、お小遣い。一部、出張同行した際の宿泊・交通費の立替えなんかも入ってます。

1年目はマンションに移り住むにあたり、多額のサポートをしてもらいました。1年目・2年目と、なぜかほぼ同額のお手当てですね。1か月平均だと18万程度いただいていたようです。当然ながら会社の給料も入ってくるので、派手にブランド物を買うような生活はしていませんでしたが、わりと好き放題お金を使っても「預金残高100万円」みたいな状況に恵まれていました。


=========
友人・知人には決して話せない事柄を、赤裸々な秘密を打ち明けるように書いてみました。
こんな私でもできたんです、という記録です。

みなさまのパパ活ライフを、陰ながら応援しております。



Writer: 
自分の「女」としての市場価値を知るべくパパ活・愛人活動を開始。20代半ばに2年間、愛人をしていました。当時の悲喜交々、また再現性の高いハウツーなどを共有できれば幸いです。

藤崎 みきの記事

関連記事

【国内最大級の交際クラブ 全国展開】

► パパ活をしてみる