「完活」かんかつ©︎コラムライター 美鈴です♪
アラフォーで「終活」ならぬ「完活」©︎をスタート。既婚。
終活という二文字がさほど目立たなかった少し前の頃。
祖父と父、同級生が「人生の終わり」を迎えることとなり、時を同じくして自分の「人生を終わらせるための活動」「完活」©︎を開始しました。
ごく普通に、誰もが経験する身近な人の「死」に寄り添いつつ、俯瞰しながら感じる「わずかな感情」に少し、トッピングシュガーな愛情を足して表現します。
独自で自分の考える人生を定義し、完活©︎オリジナルコラムを書いていきます。
Contents
1.人生を定義する
「人生」とは、限りある時間をどのように生きぬくかであります。
そんな当たり前のことに一貫性を持ち、私自身がそう決意してからは現在のパパ活に至るまでそれほど時間はかかりませんでした。
交際倶楽部への登録は、私の「終活」の「前戯」が倶楽部活動であり一貫性のある目的地への通り道です。
日常にごくありふれた「偶然の発見」により、見出した終活の航路でした。
それは、認知機能のバランスがとれているうちに人生において終活よりも包括的な「人生を完了させるための活動」=「完活」©︎のはじまりです。
2.私の性格
どちらかというと、母に似たところがありのんびりとした性格です。
そのため父には「おまえたちは人さまより生き方が10年遅れている。もっと考えなさい。若いうちは、人よりがむしゃらに必死に働いて、稼いでいくものだ。」と、日頃から説教を食らっていたものでした。
「がむしゃらって、何よ」
そんなに考えなくても、人並みに働いて食べることは何とかできる時代なのに…。
3.パラサイトシングル
就職してからもなお、居座っていた実家暮らしではわずかな初任給の中から給料の約半分を生活費として毎月、母に渡し気ままに暮らしていました。
私は、社会人になったとたんに「生活費を出す=一人前」になったのだと大きな勘違いをしたまま、親のすねをかじってアラフォーまでのんびりとパラサイトな生活をしていました。
※総務省ではパラサイト・シングルの統計を取っていて、たとえば35~44歳の「親と同居の壮年未婚者」は300万人超。
この働き盛りの年齢層の16.7%(2014年)に当たり、現在も増え続けているそうです。
「壮年」のパラサイト・シングル増加に伴う介護の課題が浮上しています。
相当数いるパラサイト・シングルが親の介護をする年齢を迎えている今、問題が増幅することは予測できます。
4.断れない仕事
いつの頃からでしたか、仕事の延長として、直属の上司からのパワハラ(セクハラ)である「巧みなお誘い」に屈してしまい、体の関係がはじまりました。
(人事異動で上司は入れ替わりますが、なおまた繰り返すことになりました。)
さらには、依存度の高い顧客からの断れないこっそりの仕事アフターのお相手もしながらブラックな職場で大切な仕事をこなしていました。
「働き続ける為には、女の役割って、こんなものなのかしら」
5.数年ぶりに開かれた女子会
ショートカットのよく似合う、同級生が口を開きました。
「うちの行も他行と同じでね、支店長は数年で人事異動があるのよ。不正がないようにね。前の支店長が異動していなくなり、ほっとしたのもつかの間で、赴任してきた支店長から体の関係を求められるの。またなの。毎回、毎回、断れないから割り切るしかないのよ。」
キュートで明るく豊乳なその同級生J子は、愛嬌があり辛い気持ちを私たちにぽつりぽつりと正直に話しながらも、次第に明るい話題へと上手く切り替えてくれました。
J子は場を和ごます、配慮のできる女性です。
JK(女子高生)時代からJ子は話し上手で、グループの輪の中心的存在であり大きく通る明るい声で笑っていました。
おっぱいの大きなJ子は社会人になって、職場で赴任してくる支店長にも魅力的に見えたのでしょう。
私たち同級生にとっても、もちろん魅力的に見える素敵な女性に成長していたのでした。
「ひとことでは言えない辛さよね。別に好きでもない人に、体の関係を求められるのって。」
(断わることの許されない、暗黙知の時代背景の職場で)
6.団塊世代の母
母と久しぶりに小旅行へ
観光バスの移動中に、母が他愛もない話しの流れでこんなことを話し始めました。
「某官公庁の局官舎はね、地方に要人が転勤して行くと、単身赴任先でしっかりお役目を果たしてもらうために、必ず気に入りそうな聡明で賢い女性をお相手役につけるのよ。それはそれは容姿端麗で賢い女性だからね、表と裏の仕事の役割をわかってるのよ。」
私は思わず目を丸くしてしまいました。
「そうなの…。いろんな事情があるのね。」
目を細めながら、母は話を続けました。
「そういった色々な事情をくみとりながら、上手に仕事が出来る人をまた取引先としても周りに配置するものなのよ。秘密厳守で口が固く、業務を依頼するのに1番信用できる業者ということで。長く私達も儲けさせてもらったわ。入札でなく指名で入ることができた昔の仕事の話よ。」
「シーっ、声が大きいわ!バスの中よ。今は平成よー。下手したら情報漏洩で捕まってしまうわ。」
「この、よくわからない、得体の知れない裏の社会は(男性社会は)いつまで続くのかな。きっと、永遠のテーマでしょうね。」
※掲げられて、久しい女性活躍。
ビジネス社会は男性がつくったルールで成り立っているのにも関わらず、それを自覚していないことに疑問があります。
現実問題として、男性が職場、特に管理職の大半を占めている以上、女性は発言権を得る過程でその政治学を知り、上手に利用していく必要があります。
7.ハラスメントという言葉の無い時代
のんびりした性格、その通り。
まあ、人生こんなものかと、私ももれなく仕事の延長に身を任せて上役(自分よりも地位の高い人の総称として)や、顧客様とこっそりお付き合いをしていた為アラフォーまでのらりくらりと過ごし、よく考えてみたら結婚もできるわけがなかったのです。
家族との団らんもそこそこに、地味な社会で出会う友達と日々楽しく気楽に遊んで暮らしていました。
そして、ただ好きで楽しくて辛くてきつい仕事に就いていました。
パワハラ、セクハラ、マタハラ、モラハラe.t.c.。ハラスメントのオンパレードの職場ですが、やりがいのある仕事に朝から晩まで明け暮れていました。
8.ハラスメントの諸悪根源
「うちの会社の定時って何時ですか?私は何時に帰ったら良いのでしょうか?」
一向に帰る気配のない上司や先輩達に対して、入社して数日後やっとの思いで私はそうたずねたのでした。
「残業をする人は偉い?意味がわからない」
9.「死」は突然、身近に現れる。
平成の緩やかで、それでいて過酷な労働環境の職場でそこそこ幸せに働いていました。
毎月得られたわずかな収入で、遊んで暮らしていた最中、寡黙だった祖父が病で亡くなりました。
「なんだろ。少し寂しい。」
10.余命宣告
祖父の葬儀から落ち着いた頃、父は入院することになりました。
「このあいだは、おじいちゃんに葬式の予行練習をさせてもらったよね。次は自分の番だから、よろしく頼むよ。」
父はいつものように、病院のベッドで寒いジョークを飛ばしたつもりだったのでしたが、母も私も微妙に頰がひきつり気持ちよく受け止めて笑えませんでした。
それは既に父の病は末期で、父の性格を考慮し、父本人には黙っているようにと医師に言われ、余命宣告されていた父を目の前にし、私たちはやるせない引け目を感じていたからでした。
「不甲斐ない。情けない。」
11.とにかく、がむしゃらに。
自分の本業での仕事に加え家業でさらに忙しくなりました。
父が抜けた家業を穴埋めする為、働き詰めの母の手伝いをこなしながら、毎日父の見舞いをする日々が続き、約半年が過ぎました。
その間も、こっそりと上役や顧客さまとの夜の営みも続けていました。[※エピソードⅣへと続きます]