ユニバース奥の細道 旅立ちの前(1)

 はじめまして

はじめまして、カズと申します。ユニバースに入ったきっかけは、このコラム「Darling」の斉藤さんのコラムでした。2020年の7月に入会したユニバース・アフターコロナ世代(勝手に命名)です。

新参者ですが、この1ヶ月で他人様に語れるだけの経験(現在のところオファー19件、さっき追加で3件出しました)をして初心者が語るユニバース体験は書けるようになったと思い、コラムライターに応募をしました。

おっさんの遍歴など聞きたくはないかとは思いますが、僕の入会のきっかけになった斎藤さんのコラムへのリスペクトでユニバースに辿り付くまでの僕の遍歴も書かせてください。

 SMを知ったハタチ

男子校を出て大学に入り、ハタチの頃パソコン通信で知り合った同世代の女の子に童貞を卒業させてもらった。
その後、同じくパソコン通信で知り合った女性は同じく大学生でSMの世界にドップリとハマっているM女性、M嬢だった。

概して女性のほうが大人の楽しみ方を覚えるのが早いということを知った。
思うに、男性は自力で探求をしなければならないが、女性は引っ張ってくれる大人の男性が見つかるからだろう。

大学デビューの僕は遅れてやってきた性の思春期のせいで、交際相手とは特別な絆で結ばれたいと思っていた。

そんな「特別な絆」に合致するのがSMの世界。皆が皆していることではないので特別だ。そんな「特別な絆」を実現する方法として僕はSMの世界にどっぷりとハマっていく。

M嬢から、かなり年上のS男性を紹介してもらい、S男性から色々なことを教えてもらった。M嬢とS男性から教えてもらったことで、今でも覚えていることを紹介したいと思う。

S男性「素人のほうが金がかかる」
いち大学生だった僕は、当時この言葉の意味が分からなかった。でも同じくオジサンになった今、よく分かる。

そこいらで女性と知り合った場合、その女性が何を求めているのか、いつ意思決定をするのかは全く未知数だ。どれだけのお金や時間を費やせばその女性と自分が至りたいと思って居る関係に辿り着けるのか、そもそもその女性がそれを許してくれるのかは分からない。

M嬢「SMのSはサービスのS、Mは満足のM」
SMをかじった僕は、世間一般で言われる「S? M?」という会話に辟易している。ユニバースのプロフィール欄によくあるそれにも違和感を感じている。

あれは、「攻めるほう? 受け身?」って言い換えた方が良いと思うのだ。とある会員女性の愛人診断への回答に「サービスのS」と書かれているのを見つけたときには、思わずオファーをしそうになった。

※ SMの世界は奥が深すぎるのと、相手あってこその探求だと思ったこと、なによりも遅れてやってきた性の思春期を脱した今となっては、筆者はすっかりどノーマルである。

 夜の街を知った僕

20代の頃に起業して稼ぎ始めた僕は浮かれていた。20代の若者が多額の現金を手にすれば浮かれるに決まっている。当時は地方都市に住んでいたのだが、東京の取引先に接待で連れて行ってもらったことで六本木のキャバクラを覚えた。気付けば東京に行くたびに一人六本木のキャバクラに繰り出すようになっていた。

キャバ嬢の多くは同世代、時には自分よりも年上のキャバ嬢もいたくらいだ。気に入った子を指名して50万円、100万円の会計をしているうちに、いつのまにか普通の二十代カップルのような関係にもなったりした。「普通のカップルのような」というのは東京に行ったときにその子の家に泊めてもらっていたりしたからである。

そうこうするある日、外国人の友人が日本に来るということで銀座に行こうという流れになった。そこ頃の僕にとっての銀座のクラブは漫画の島耕作と女帝のもので、敷居が高い特別な場所だった。僕の知る銀座のクラブを知っていそうな金持ちの男性と言えば、先述のS男性である。S男性に教えてもらった銀座のクラブに外国人の友人と繰り出したのをきっかけに、六本木から銀座に行き先が変わった。

銀座のクラブも通うようになれば、勝手知ったる自分の庭になる。六本木のキャバクラで浪費を覚えた身には特に驚くべきことはないお会計である。

むしろ、ふだん遊んでいるぶんには、六本木より銀座のほうが会計が安かった気がする。銀座は六本木のキャバクラよりもプロ意識の強い女性が多く、枕営業の経験をホステスさんから、スポンサーとまではいかないので大泉社長のようではないママさんとのベッドや旅行のお付き合いをさせていただいた覚えがある。

銀座の女性は会話で楽しませるのが本業であるので、会話が楽しい。田舎者で成り上がり者の自分が小金持ちの大人がする遊びを学んだり社会を学んだりするうえで大いに役立った。

余談だが、銀座に行かなくなって十年は経つが、それでも一部の女性からは未だにメールが来る。六本木のママさんからは行かなくなっても五年は毎年誕生日プレゼントが送られてきて、申し訳なくなって店に行って散財をした覚えもある。彼女らのプロ意識は本当に凄いと思う。

風俗と僕

風俗にももちろん行っていた。ソープランドというところに行ってみたくて、大衆店から超高級店まで一通り通った。

交際相手が居ないときには、オナニーせずに週3通っていたこともある。早朝ソープで抜いて貰い、すっきりして出社という今思えば頭のおかしい生活を連日送っていたこともある。

中でも中州の高級ソープは、びっくりするくらいの美人が色々してくれて驚いた覚えがある。初めての高級ソープで相手してくださった女性は今でもお名前を検索すると出てくるくらいの有名嬢だったらしく、思えばこの女性のせいでというかおかげでソープ通いをはじめた。

風俗店で働いている女性とは多くの場合、あんまり話さない。ときどき面白い会話が出来る女性も居るのだが、やはりそれは下ネタだったりする。やはり風俗店では、決まった報酬でほぼ確実に抜いてくれるが会話は楽しめない。

そもそも銀座のホステスと比べるのが間違いだが、このために僕は風俗ではすっかりマグロで女性に身をゆだねるくちだ。おかげでそれ以来マグロ体質になってしまい、交際クラブに入ってからは社会復帰に苦労する日々を送っている。

 出会い系にいきついた僕

僕は店の予約をすることが嫌いだ。ただでさえ予定が詰まっているのに店の予約で詰め込む予定を増やしたくない。なのでソープ通いもいつもフリーで入店をしていた。

そんな僕に向いているのは出会い系サイトである。ムラムラしたときに出会い系サイトを覗いて、すぐに募集をしている女性に連絡をすれば、お手軽に抜いてくれる相手が見つかる。

昔の出会い系は牧歌的で、そこいらの女性が小遣い稼ぎに募集を載せていた。彼女らは風俗店の女性ほどペニスの扱いに長けているわけではないが、それでも概ね身をゆだねていれば抜いてくれる。こうして風俗店と出会い系の二本立てで欲求の解消をする人生がはじまった。

しかし、月日が経つうちに、出会い系は質の低いデリヘル業者と個人営業のデリヘル嬢が跋扈する世界になってしまった。いや、ヘルスだけじゃないからデリヘルと表現するのも違うな。

いつからか女性の掲示で男性の関心を引くために「生」が当たり前に書かれるようになり、パンツを脱いだら女性の股間から異臭がするためにお金を渡して何もせずに帰るという経験を数度するうちに僕は出会い系から足が遠のくようになった。

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