噂話の中で女がほんとうに語りたいこと 11

 

■ 噂話に熱中している女性の心のスキを突いて本音を見破る

よく”噂話”や”ゴシップ"は、女性の専売特許などといわれています。 たしかに、他人のスキャンダラスな側面をのぞきたがるというのは、今も昔も変わることのない女性の特性といえるようです。

この特性を発揮する会場が、いわゆる〝井戸端会議”というもので、古くから女性たちは、日常スペースに、自分たち独自の情報交換の場を設け、 やれ、あの家は夫婦仲がうまくいっていないなど、よもやま話に花を咲かせて他人の情報収集にこれつとめていたわけです。

現在なら、さしずめ会社や、学校の更衣室、女子トイレあたりが、この"井戸端会議"のスーペスにあてはまるだろうと思います。

「女三人寄れば姦しい」とはよくいったもので、彼女たちはこうした場面で顔をつきあわせれば、 ほとんど例外なくじつに楽しそうにと噂話に打ち興じて、飽くことを知らないわけです。

女性はすべからく、独自の"私設放送局"を持っているのではないかとさえ思えてきます。 女性が他人の噂話、ゴシップにこれほど熱心になれるのは、そこで取りあげられる話題があくまでも他人に関するもので、 自分の身にはけっして降りかかってこない、いくら話題をあげつらってもけっして自分が傷つくことはないという安心感があるからだと言っていいだろうと思います。

だからこそ、女性は気楽な気分で噂話を楽しむことができるのでわけです。 しかし、ちょっと見方を変えれば、その気楽さの分だけ、噂話に興じている女性の心にはスキが生じやすく、精神的に無防備になっているということもできるわけです。

そこにこそ、女の深層心理を読むカギがあるわけです。 つまり、噂話には、おのずと女性の本音、すなわち、深層心理が表われやすいということなわけです。

たとえば、女性が噂話に熱中しているときには、他人の話に託して、知らず知らずのうちに自分を表現していることがひじょうに多いようです。

隣の主人の浮気話が、じつは自分の享主の浮気に対するグチだったりすることはよくあるケースだったりします。 こうした女の噂話に注意を向け内容をよく分析すれば、女性の深層をうかがい知ることはそうむずかしいことではないのです。

女の噂話は、その話の背後にひそむ心理的因子によって、次の三つに大別されるだろうとおもいます。

①欲求代償型:他人をこきおろすことで、自分の欲求不満を晴らし、優越感を得ようとするもの

② 欲求代弁型:自分の欲求を、他人の言葉として伝えようとするもの

③ 欲求代理型:言い表わしたい欲求が、別の姿をとって表われるもの この三つの分類にしたがって、以下にそれぞれのパターンの具体的な例証をあげながら、深層のベールをはいでいこうと思います。

■心のわだかまりが、女を噂話に馳りたてる

最初に述べたとおり、女性というのはほとんど例外なく噂好きな一面を持っているものですが、なかでもとりわけ他人のゴシップに強い執着を示して、 明けても暮れても他人の話題をあげつらってこきおろし、あたかもそれを生き甲斐にしているような女性がいるものです。

一般的にこういう女性たちの深層に共通している特徴は、現在に対する満たされない思い、欲求不満であるばあいが多いようです。

つまり、彼女たちは他人の”店卸し”、”こきおろし”をすることによって、心の底にある欲求不満を晴らし、 自分 のほうが他人よりまだましだと思い込みたがろうとするのではないでしょうか。

古くなりますが、一九八四年度の日本推理作家協会のベストテンにも選出されたルース・レンデルの傑作ミステリー『ロウフィールド館の惨劇』は、 孤独な中年女性二人が、幸福に暮らしていた町の有力者の一家を皆殺しにしてしまうという、きわめて異常な事件を描いた物語です。

犯人の一人は読み書きのできない当家のメイドであり、もう一人はゴシップ好きで、町のきらわれ者になっている雑貨屋の女主人です。

女主人は有力者一家の噂話、ゴシップをメイドに吹きこむ。 そして、「私にいわせれば、あんな不幸な人たちはいない」などとうそぶくのです。

もちろん、その言葉の裏には、富裕で幸福な生活を営んでいる有力者一家に対するねたみ、羨望がひそんでいることはいうまでもないことです。

あげくのはてに、彼女の一家に対する憎悪はますますふくれあがって、ついにはたいした理由もなく、一家惨殺というとんでもない暴挙におよぶのです。

かなり異常なケースですが、この小説は、噂話に熱中する女性の深層心理をじつにたくみにとらえているといえるだろうと思います。

この物語にでてくる雑貨屋の女主人は、友人が少なく、夫にも愛想づかしをされた孤独な女性です。 そんな彼女にとっては、他人のゴシップ、中傷、噂話を必死ですることは、心の奥底の孤独感を埋め合わせる一種の”代償行為”だったのです。

つまり、彼女は噂話をすることによって、日ごろの欲求不満を解消していたわけで、 これは①の「欲求代償型」に属する典型的な例といえるだろうと思います。

世間一般にも、たとえば、「俳優の○○は、歌手の△△と親密な関係にある」とか、「タレントの××は、離婚の危機にある」など、 男女の仲に関する噂話に熱中してやまない女性たちがいます。

彼女たちの深層にも、ある一面ではくだんの雑貨屋の女主人とひじょうに似かよったところがあるといえます。 つまり、彼女たちはふだん男性と接することが比較的少なく、 そうした欲求不満をタレントの色恋沙汰をあげつらうことによって解消していると読むことができるわけです。

また、女性の中には、小説でも映画でもテレビドラマでも、悲恋ものや難病もの、あるいは母子ものといった悲劇を好む人が多いのですが、 彼女たちがこの種の悲劇を好むのも、悲しい思いをしたいからではなく、それにひきかえ私は幸せだと、 自分の置かれている境遇をプラスに評価したいためだといえるだろうと思います。

つまり、こういった他人の不幸を喜ぶ女性の深層心理には、対象と自分とを対比させて、自分の優位性を確かめようとする意識がつねに働いているのではないかと思います。

■ ”○○さんが言っている”は”私が言っている”に翻訳できる

次に②の「欲求代弁型」は、他人の言葉の引用という形を借りて、自分の欲求を伝えようとするものです。 そのとき、女性がもっともひんぱんに引用するのは、なんといっても”母"の言葉だろうと思います。

よく「お母さん、あなたのこと気に入っているみたいよ」とか、 「母があなたのことをとてもすてきな人だといっていたわ」などと、しきりに母親の意見を引きあいに出して、 相手の男をそれとなくほめる女性がいるものです。

ここには、母親の言葉にかこつけて、彼女自身の感情を相手に伝えたいという願望がひそんでいると見てまず間違いないようです。

一般に若い女性にとって、相手に好意を打ち明けるというようなことは、きわめて”言いにくい”ことであるのは想像にかたくないわけです。

愛の告白を女性の側からする場合には、どうしても恥ずかしいという気持ちが起こるし、 また、自分の口からそんなことを言っては、はしたないという意識も働くわけです。 そこで、彼女たちは意識的、あるいは無意識的に、自分のもっとも身近な存在である母親に託して、自分の本音をさらけ出すというわけです。

人気タレントの〇〇〇は、対話の名手としてつとに評価が高いが、ことにゲストの失恋話や失敗談など、 相手にとって”言いづらいこと”を聞き出すことがたくみだといわれています。

彼の番組に出演するゲストは、往々にして自分の失敗談やあからさまな艶聞を自分の知り合いの話にすり替えて語るわけです。

しかし、タレントの〇〇〇はそのことにはいっさい触れず、「で、それからその友だちは…?」「その後、彼は????」 と、 あたかもそれが他人の話であることを信じているようなロぷりで、矢つぎばやに質問をたたみかけていくわけです。

そこで、ゲストも他人の話というたてまえが守られたことについつい気を許して、 かなり言いにくいことまでペラペラとしゃべってしまい、あとでしまったということになるようわけです。

このように、もともと人間には、自分自身のこととしては言いにくい感想や意見でも、 自分の周辺や所属集団の意見としてなら言えるという心理的な側面があるわけです。

ことに、女性の場合はこの傾向が強く、自分の家族や友だちにかこつけなければ、なかなか本音が言えないことが多いものなのです。

したがって、女性が母親の言葉、あるいは親しい友だちの言葉として語ることは、ほぼ彼女自身の気持ちと解釈してもよかろうと思います。 けっして”誤訳”とはならないだろうと思います。

ただ、こうした内的欲求とは無関係なことにまでひんぱんに 「母が」という言葉が出てくると、 これは少々厄介といわざるをえないわけです。

こういう女性は、母親と自分との心理的な境界があいまいな、いわゆる”乳ばなれ"のしない幼児的な女性である可能性が強いからです。

心理学では、彼我の心理的境界がはっきりせず、相手と自分が一体化してしまうような心理メカニズムを、「同一視」といいうのですが、 母親との「同一視」が強すぎる女性は、とかく依存心が強く、男を甘えさせられない女性になりがちなのです。

一人まえの大人としての自立心を持つ女性を 求める男にとっては、避けて通ったほうがよい女性のタイプといえるかもしれません。

■男に対する批難、評価に隠された複雑な女心

テレビや映画によくでてくる恋愛のパターンに、”ケンカ友だち型の恋”というものが良くあります。表面的には仲が悪く、 ケンカばかりしているくせに、その実内心では互いに強くひかれ合っている、そんな男女の恋愛話です。

ことに女性のほうは周囲に対しても、公然と「あんな強引な人、女がついていくはずがないわ」とか、 「彼はまだ甘いのよ、もう少し大人になるべきだわ」などと男をあしざまにののしり、ことさらにそれを吹聴するわけです。

ドラマなどでは、この場合、きまって女性に好意を寄せる第三者がいて、心中ひそかに俺にも脈があるな、などとほくそえんだりするわけです。 ところが、しばらくすると二人が手に手をたずさえてやってきて、お人好しの第三者は、はじめて自分がピエロの役回りを演じていたことに気づくわけです。

山田洋次監督の”寅さんシリーズ”などでは、この手のパターンがしばしば用いられるようです。

このような場合、女性が男をことさらにけなすのは、自分の内面を他人に知られたくないという意識が強く働くためで、 つまり、悪口を言うことによって、自分の感情をカムフラージュしていることが多いわけです。

その意味で、女性の男に対する悪口は、内的欲求が別の姿をとって表われる「欲求代理型」の噂話に属するものといえるだろうと思います。 「ケンカするほど仲がいい」という言葉を待つまでもなく、往々にして女性というのは、男にある特別な感情を抱いていると、 その感情を隠そうという防衛意識が働いて心とは裏腹な態度をとることが多いのです。

したがって、女性が特定の男をけなすときは、その男に特別な感情を抱いていることが十分考えられるのです。 こうした女性の屈折した欲求代理の表現は、ふだんの生活の中にもさまざまな形で表われるわけです。

たとえば、夫や恋人と一緒にテレビを見ながら、「KTって素敵」とか「YMはやっぱりカッコいいわ」などと彼女が何気なく口にする。 一見、女性にありがちな非現実的な憧れを言っただけの何でもないことのように思えるが、 こうした言葉の裏にも、案外複雑微妙な女性心理が隠されているの場合が多いのです。

女性が男のまえで歌手やタレントをほめるとき、心の底では相手の男に対する漠然とした不満わだかまっていることが多いからです。 その不満がタレントへの賛辞という形に姿を変えて表現されるわけです。

彼女にとって、テレビに映し出されるタレントは、あくまでカッコよく、男性的魅力にあふれている。 それに比べれば、目のまえの男はどうしても見劣りがする。 そんな無意識の対比が、彼女に日ごろ感じている漠然とした不満を再確認させることになるのです。

しかし、彼女自身、その欲求不満のありかを、はっきりとつかめないでいるので、 彼女はタレントというまったく自分の身近でないものに自分の不満を託せざるを得ないのです。

また、ふとしたおりに、男のまえで失恋した過去の男のことを口の端にのぼらせて懐古するというのも女性にはありがちなことですが、 これも欲求代理の表現の一つとしてとらえ直すと、そこに女性の微妙な深層のメッセージが読みとれて興味深いです。

こんなとき、男は彼女が自分から遠ざかっていくような錯覚を覚えて気が気でないものですが、存外、彼女は男にピッタリ寄りかかって、信頼しきっているものなのです。 そもそも女性にとって現在の状態が安定し、揺るぎないものでなければ、過去の痛手や古傷を”なつかしむ”心理的余裕など生まれてくるはずはないからです。

つまり、女が過去の失恋をうっとり懐古するという背景には、幸福で満ちたりた現在の状況があるわけで、 こうした安定状態の中では、女はいやなことを忘れて自分に都合のいい思い出だけを思い浮かべられるのです。

したがって、女が男のまえで過去の男のことをなつかしむのは、現在の男に心離れしたわけではなく、 むしろ彼に絶大な信頼を寄せているあらわれと解釈することができるのではないかと思います。

■女のジョークは、男を牽制する”トゲ”である

以前、冠婚葬祭にくわしいある女性社会評論家(元上級公務員で私の愛人でもあるC)から、見合いの席における男女の反応が、たとえ両者よく似かよっていても、 男と女とではその意味するところ、相手に対する感情のもち方がまるでちがうという話を聞かされてたいへんおもしろいと思ったことがあります。

たとえば、男が女に対してたびたびジョークを飛ばすのは相手に好意を抱いている場合が多いが、 女がひんぱんに男に対して冗談や軽口を叩くとなると、これはむしろ、相手の男をけぎらいしているケースの方が多いという場合が多いようです。

女性心理のメカニズムからすると、この女性評論家(私の愛人C)の見解は大いにうなずけるものがあります。 繰り返し述べているように、女性は自分の内面を他人に知られまいとする意識がひじょうに強く、つねに本音をひた隠しにしようとする習癖を持っているものなのです。

そうした女が、対面している男に反感や敵意を感じていたとしても、それをストレートに表現するはずはなく、その感情をオブラートに包もうとするのは当然だろうかと思います。

だから、女の反感や敵意は、表層部分では冗談、軽口などの自己抑制の表現として表われやすいのです。 つまり、女の異性に対する冗談は、一種の"あてつけ"であることが少なくないのです。

こうした心理メカニズムは、男性にもむろん共通したもので、男もしばしばこの皮肉めかした欲求代理の表現を用いることがあるものです。

かつてイギリスの劇作家バーナード・ショーは、当時の肉体派女優であったイサドラ・ダンカンから、 「もし、あなたの頭脳と私の肉体を持った子が生まれてきたらどんなにすばらしいことでしょうね」と求愛の言葉をささやかれたとき、 「もし、私の肉体とあなたの頭脳を持った子が生まれてきたら、どんなに不幸なことだろう」と答えたという。

ショー 一流のかなり痛烈なしっぺ返しだが、素直に断らずに、こうしたジョークめかした受け答えをするところに、 彼の求愛に対する拒絶の意志の固さ、結婚に対する反感の強さを見ることができるわけです。

とはいっても、一般には男のジョークは女に対するサービス精神の発露である場合がほとんどだろうと思います。 ところが女性はむしろ逆で、よほど気を許した相手でないかぎり、好意の表現としてジヨークをとばしたりしないものなのです。 女性の男に対する拒絶の表現には、こうした〝さやあて"の形をとるものも少なくないというわけです。

■ 噂話から女の本性を見抜く実例集をピックアップしてみました

※噂話やゴシップの好きな女性は、現在の自分が人よりましだということを確認したがっている。

※女性が男のまえでタレントをほめるときは、相手に対してばく然とした不満を抱いている。

※「友だちが……」 「母が・・・・・・」と他人を引きあいに出す女性は、その人たちの口をかりて自分の本音を言おうとしている。

※特定の男をけなす女性は、その男に特別な感情を抱いている。

※会話の中に母が頻繁に登場する女性は、幼児性が強く、男を甘えさせられない。

※女性が過去の男のことを語るのは、現在の男に満足していないからである。

どうでもよい話ですが、コラムに出てきた社会評論家ですが、 彼女は『私の愛人とのセックスをスタートし、この抜け出せない魅力は蜜の味』というコラム蘭にも 少しだけ登場しているCという女性になります。

次回のコラムでは、女の”泣きごと”に隠された裏側の意味と題して、お話をしていきたいと思います。

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