欺されては行けない女の ”第一印象”

■ こんなところに女の心の秘密が表れる

※プレイガールを気取る女は、自分の性体験の未熟さを隠そうとしているのです。 ※電車の席で隣に男性が座ると露骨に嫌な顔をするのは、男を求めている証拠なのです。 ※女性が急に多弁になった時は、知られたくない秘密を握っているのです。 ※女の”結婚なんかしたくない”は結婚に対する願望の表れなのです。 ※女が男に”おもしろい人”というのは、セックスに対する関心が強い証拠なのです。 ※女が”海を見たい”と言う時は、相手の誘惑に応じてもいいというシグナルなのです。 ※女が男を上目使いで見るようになったら、性的興奮が高まったと見ていいと思います。 ※女が他の女を褒めるのは、その女に対する嫉妬心の裏返しなのです。

■ 女の本性は、厚い仮面の下に隠されている

最近、人の性格を評するのに「ネアカ」 「ネクラ」という言葉がはやっているようだ。その意とするところは、「根っからの明るい性格」「根っからの暗い性格」といったところだろうが、この言い方には少々問題があると私は思っているのです。 若い人たちがこの言葉を使う場面を見ていると、要するに、一見して誰にでも底抜けに明るく見える人、誰が見ても陰気くさく暗く見える人を評して、「ネアカ」 「ネクラ」と言っている場合がおおいようです。

これが従来どおりの単純な「明るい人」「暗い人」という言い方なら、それはそれなりに表面的な印象を言った言葉として納得できる。しかし、内実は同じ表面的な観察にすぎないのに、なまじ「ネクラ」などと、 その人の心の奥底を見たごとく、根っからの性格のようにきめつけてしまうのは、その人の人間理解をはなはだ浅薄なものにしてしまいかねないと思うのですがいかがでしょうか。 女性を観察する時も「彼女は、お茶目で明るい屈託のない人だ」とか、「おとなしくて控え目、慎ましい人だ」などと、われわれ男性はそれぞれいっぱしの性格分析をしたつもりになって、それをもとに彼女に対する行動を起こそうとするものです。

しかしその判断が彼女の外見上の印象や普段人目に晒されている言動からなされているものだとすると、これはあくまでも信用出来る物ではないと言えます。つまり、「ネアカ」も「ネクラ」も、けっして「根」からのものでないのと同様に、 こうした表面的な、けっして彼女たちの本性、ホンネをストレートには語ってはいないからなのです。パーソナリティ(人ペルソナ(人格・性格)の語源がペルソナ仮面)であることでもわかるように、 日常生活の場で変われる人の性格は、多分に他人の目を意識してとりつくろわれたものが殆どの場合が多いようです。もちろん、こうした二面性はは、男性、女性の別なく、人間のすべてが備えていると言っても過言ではありません。

だが男女の別なく、本性をおおい隠すこの仮面も、その“厚さ”の点ではかならずしも一とはいえない。つまり、女性のほうが男性よりはるかに“厚い”と思われるフシがあるものなのです。 私が学生時代の何十年かまえ、大学時代、サークルの先輩であった男性と同棲中の若い女性が、彼を殺害した挙句、何ヶ月もアパートの下に埋めておくという事件がありました。同機は「別れ話のもつれ」というものだから、 それ自体はよくある話しのひとつと言えるだろうと思います。しかし、この単純な事件にも、女性がかぶっている仮面の厚さが如実に表われているのです。

まず注目したいのは、殺人におよんだこの女性が、 勤め先の上司や同僚のだれからも、「明朗で快活な人」という評価を受けていた点です。そのため、こうした人たちは、事件を知ったとき一様に、「とても信じられない」と驚きの声を上げたといわれています。 ところが、彼女の古くからの友人によると、人まえではともかく、ごく親しいあいだがらの人間といっしょのときには、ものごとにクヨクヨと悩む、「陰気で影のある」部分を見せることもあったという事なのです。 さらにもう一点見逃せないのは、死体と同居しているあいだでも、彼女の明朗快活ぶりに、まったく変化が見られなかったという事実であったようです。

■ "プライベート・ルーム"にある女の〝汚れたシーツ"

人間が、他人に対して示す言動などの背景にある心理は、大ざっぱに言えば”表層"~〝深層”の二つに分けられるそうです。これをわかりやすくいうなら、表層は、パブリック(公的)"であり”建て前"であり、"表向き" であるという意味になります。 一方深層は、 "プライベート(私的)"であり、"本音"であり、”内側”であるわけです。一般に女性は、このパブリックとプライベートの分化の度合いが男性より強く、深層をおおう 表層が、きわめて厚いようです。

くだんの事件を起こした女性は、床下に埋めた男性の死体に向かって、毎日のように「もうすぐあなたのところへ行きます」と語りかけていたそうですが、いったん職場にはいると、そんな影の部分はカケラもうかがうことができないほど、 明るく振る舞っていたといいいます。これこそ、なによりも彼女の表層の厚さを物語っているのではないかと思われます。だが、彼女のような極端なパブリックとプライベートの使い分けは、意識してできるはずがない。 おそらく彼女は、陰気で暗い"という自分の本性を、〝明朗快活"という仮面ですっぽりと包み込む生活をしているうちに、よそおっているという意識がなくなってしまい、「仮面の自分がほんとうの自分」と思い込むにいたったのではないかと思われます。

そして、こうした“思い込み"は、女性ならばこそのものなのではないかと思われます。男性は、ビジネスの場などで、好むと好まざるとにかかわらず、厳しい人間関係の荒波にもまれています。 したがって、表層をとりつくろおうにも、しばしば外圧でそれを強引にはがされてしまう場合の方が多いです。だから、必然的に「表向きだけをとりつくろってもムダ」という意識を持つことになるわけです。 片や女性は、まだまだこうした荒波にもまれていず、仮面のまま通せると思っている傾向が強いように思います。したがって、堂々とプライベート(本音)と違うパブリック(表向き) の態度だけでふるまい、 そのうち自分でも、その仮面が自分そのものだと思えてきてしまう。 よそおっているという意識そのものが、まくなってしまうのです。

男が女性を見て最初に抱く印象、第一印象とは、まさにこの仮面部分、パブリック部分によって作られるものが多分にあります。 そして、その仮面の厚さゆえに、少々つきあいを重ねたところで、その第一印象は多少修正されたとしても、大幅に変わることなく彼女のイメージとして固定するわけです。 もちろん、多くの女性の中には、この仮面の上と下、パブリックとプライベートの落差が大きくない人もいいると思います、外見上のイメージと心の内奥が一致している人も、いないわけではありません。

しかし、おおよその場合、ちょうどホテルのパブリック・スペースと、プライベート・スペースのように、彼女たちの外面と内面には、かなりの落差があると思っていたほうがいいのではないかと思います。 とりすましたきれいな空間、高級で上品な調度でいっぱいのホテルも、ひとたびプライベート・スペースの扉を開けると、ごちゃごちゃした空間に、清掃用具や片づけかけのシーツ類がつまっていたりするわけです。

女性の心を知るには、この扉の裏に隠された 汚れたシーツを知らなければ、知ったことにはならないというわけです。今回から始まった女の深層心理を暴く!は、次回は女の“本性”は、第一印象と百八十度のところにある。というお話から始めたいと思います。

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