宇宙倶楽部を中心とした私的心像風景その3

【みたびモノローグそして京都は婚外活動がよく似合う】
 かの太宰治大先生は富士山麓に2ヶ月以上滞在し、創作活動に没頭したことがある。しかし京都には憧れてはいたものの(一番弟子が京都にいた)、時代と状況がそれを許さなかったようだ。大先生が京都で暮らしていたら、富嶽百景以上の名文を書いていただろうに。そして鴨川や高瀬川は玉川上水と比べてもずっと浅いから、入水自殺せずに済んだかもしれない。
 おそらく人数から言えば愛人生活を送っている女性は東京の方が多いだろうけれど、京都も質的には負けてないだろうと個人的には思う。いやはや「その質ってなんだよ?」ということもあるし、決定的な根拠があるわけではないけれど京都は愛人を持つこと、そして愛人であることに寛容な町のようだ。ジョーはお茶を通して京都人の知り合いを増やしているが愛人を持つ男性、愛人である女性が少なくない。それも決してドロドロとした関係ではなく、茶会の延長上にあるような感じで、誰も咎めたりしないのだ。そもそもジョーを京都に誘ったのは京都出身のナナ姫であるが、彼女もまた妾腹の子である。父親は老舗店の御曹司で愛人を持つことが嗜みであるかのように振る舞う人らしい。だからナナ姫は本宅近くの別宅で暮らしたものの、本宅の兄弟たち(兄と妹)とも交流があったそうだ。それがどうした?と言われれば何にも答えられないけれど。
【シンプルに生きるのは殊の外難しいというお話】
縁あって京都での二重生活を始めることになった。特に贅沢をしているわけではないが、その時自宅はモノで溢れていた。だから京都での生活は出来るだけシンプルにモノを増やさないようにしたかった。今の時代モノを増やさないことの方が難しいし、贅沢なのかもしれない。結果はダメだった。京都との二重生活はせいぜい1年程度の予定だったから当然賃貸物件、家具家電付きのマンスリーを探していた。それなのにちょっと事情があり(大した事情ではないけれど)
何と一軒家を買ってしまったのだ。そんなに広い、家ではなかったけれど、一軒家となれば家具家電を一通り揃えてしまう。そうなるともうダメだ。歯止めが効かなくなり、モノで溢れる場所が自宅の他もう一つ増えるだけだった。その最たるものが、シーちゃんで、あれあれよという間に家に上がり込んできて、結局半年ほど半同棲してしまった。楽しいか楽しくないかと言われれば、楽しかった決まっているしこの年で娘より若い子と暮らすとは流石に思いもやらなかったので、良い?経験ではあった。しかし同時に折角人生をリセットしようと思っていたから、どこかフワフワした地に足がついていないような日々を送っていた。だからこの2月にシーちゃんとの同棲を解消した時、この家を売ろうと思ったのだった。ところが思いの外高く借りてくれる人が現れて(お茶のネットワーク)それで売らずに貸すことにし、家の中ものはほとんど全て売り払った。そしてキッチン付きのホテルと長期契約をして今に至っている。前回の反省を活かして、持ち物はリモアのスーツケース105ℓに入るものに限った。何の自慢にもならないけれど、スーツは一着だし、普段着も2セットしかない。靴は革靴とスニーカーが一足ずつ。ものが少ないと選択肢も少ないからあれこれ悩まなくてもよいのが嬉しい。洗濯は地下にランドリーがあって今のところ不便を感じない。ミニキッチンも付いているから朝は基本自炊(と言ってもご飯炊いて、味噌汁作ってという程度ですけど)で、夜も気が向けば何か作ること(パスタ率が異常に高い)もある。
 ジョーのホテルは五条にある。この場所が生粋の京都人にはどう映るかよくわからないが、ジョーのような通い妻付き1人暮らしにとっては最強の場所ではないかと思う。歩いて数分以内にコンビニ、スーパー、パン屋、八百屋、100円ショップ、ドラッグストアー、クリーニング屋、床屋、歯医者、内科、が揃う。さらに美味しいお店にも事欠かない。ジョーがよく利用する店はイタリアンバル、ピザ屋、蕎麦屋、和食割烹、町中華、カフェ、日本酒バー、和菓子屋さんなどなど、どこも歩いて5分以内にあり、便利なことこの上ない。徒歩10分まで広げて良いならさらに選択肢は広がる。しかも四条や三条にありがちな「Time is money」の店とは異なり、この辺りはホスピタリティに溢れた家族経営の店が多いのも嬉しい。そして美味しくて価格も味を考えればどこも充分リズナブルだ。とここまで書いて気がつくことがある。それはこれがシンプルな生活と言えるかということだ。多分言えないだろう。なぜって前より持ち物が減っただけでモノやコトに執着していることには変わりがないからだ。1番執着しているのは女性に対してだけど、これはやめられそうにない。だって気持ちいいんだもん(苦笑)。
【やっぱりSEXは気持ちいいということ】
 まもなく還暦の人間が書く題目ではないけれど、これはジョーの実感なのだ。長くジョーはSEXが楽しいとは思えなかった。これはこちらに大きな問題があって、その時間になかなか没頭できない。だからこそだと思うけど、宇宙倶楽部のようにお手当でパンツを脱がす場なのに愛だとか、恋だとか喚いていた。特に特別なきっかけがあった訳ではないが、1人去り、2人去りする中で、とりあえず(といういい方は失礼だけど)エロ嬢と頻繁に会い、シーちゃんと同棲を解消した後、連日のようにまぐわってみた。するとあら不思議、エロ嬢の反応がどんどん良くなり、反応が良くなればジョーも嬉しいから、頑張る時間も長くなる。そうなれば相乗効果でエロ嬢の女性自身の反応はさらに良くなり、好循環どんどんSEXが楽しく気持ち良くなってきた。自分の小型トマホークを棚に上げるけれど、エロ嬢と初めて同衾した時は「ちょっと緩いな」と思ったものだ。それが今ではジョーの小型トマホークはそのままなのに、エロ嬢のアレは包み込み、時には締め上げる。これはGちゃんやさっちゃんも同様で右肩上がりの?反応を楽しませてもらっている。特にGちゃんは典型的なオトウサマ女子だから、ジョーとのSEXはあまり興味ないだろうと思っていた。しかしながら、最近のGちゃんの変化は著しくて、絶叫と共にハテルこともある。演技であるかどうかはジョーには大きな問題ではない。オッサンのわかりやすい、ありきたりなリクエストに応えて例の四文字を繰り返しながら大きく身体を逸らす時、これこそお手当効果冥利?に尽きると思うのだ。そしてさっちゃんはジョーにとってさらに謎の存在だ。彼女とのSEXもまた、2人に負けずとも劣らず魅惑的である。40代というと女盛りなのに旦那に相手にされず他の男性に彷徨するというパターンがあるが、さっちゃんは全く当てはまらない。何せ「旦那を愛している」と豪語?するだけあって週に3回は致していらっしゃるという。40代夫婦でその回数はジョーの廻りでは1組しか知らない。性的は充分満足しているはずだが「ジョーさまは別腹」と喜んでいいんだかそうでないのかよく分からないことをおっしゃる。一度挿入してまさに絶頂に達しようかというとき、「旦那のチ○コと僕とどっちが大事?」というオッサンありがちなベタな質問をしたことがある。ジョーの性癖からして「旦那」という答えを期待していた。しかしながらさっちゃんは「どっちも大事!」と叫びながら絶頂を迎えられた。そうか!どっちも大事という道があるんだと思い知らされた瞬間だった。そういえばジョーも、エロ嬢もGちゃんも、さっちゃんも、ナナ姫も、そして妻もみんな大事だ!というのは都合良すぎるかしらん⁉︎
【とは言え真打はナナ姫】
 エロ嬢もGちゃんも、当然さっちゃんも大事だし、大好きだ、と言ってみる。もちろん嘘じゃないし、3人に対する感謝の言葉を四条大橋で叫べと言われたら喜んで叫ぶ(言われたことがないから叫んだこともないけど)。ところがナナ姫から「私のこと好きって叫んでごらん」っ言われたらおそらくうまく言葉でない。3人とは全く次元が異なるのだ、ナナ姫は。というわけで次回書く機会があれば真打登場ってことで、今回は締めさせてもらいます。

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