”食べる・飲む”行為に潜む女の願望と本能

■”擬似家庭体験”にこそ女性の男に対する願望が表れる

誰でも若いころは、異性と二人きりで食事のテーブルにつくと、妙に気恥ずかしい思いをするものです。二人でいっしょに歩いたり、話したりするとき以上に、食事をするときというのは照れくさい ものです。

それは食べるという行為そのものが、きわめて本能的なものであるだけに、それを相手に見られるということは、裸の自分を見られるのに通じるような、ある種の照れを伴うからであるからなのだと思います。

しかし、この気恥ずかしさの理由は、それだけではないようです。。とくに女性の場合、そうした二人きりの食事には、ひとつのイメージがオーバーラップするようなのです。

それは”家庭”というイメージであるようです。 お好み焼き屋などでよく見うけられる光景に、アベックの男のほうは何もせず、女性がかいがいしく焼いたり切ったりしている姿をよく見かけます。

釜めし屋でも、釜からごはんをよそうのは、たいがい女性の役目になるはずです。 はたから見ていると、何となくほほえましい光景なのですが、当の二人、とくに 女の心の中にはある種の緊張と興奮です。

なぜなら、未婚のアベックなのに、まるで女性は妻のように、男性は夫のように、いつのまにかふるまってしまっているからなのです。

小さなころには男も女も、「ままごと遊び」を経験するわけですが、この「まま」とは、つまり「まんま」=「食事」にほかならないのです。

子どもたちは、食事をともにする遊びを通して、家庭ごっこを楽しんでいるというわけです。 未婚の男女の食事の席は、この「ままごと遊び」の延長上にあり、一種の”擬似家庭体験”なのです。

この”擬似家庭”性を、女性は本能的に察知しているものだと言われているのです。 目の前にいる男性を意識すれば、その男性の妻となった自分というものを無意識のうちにも思いえがくことになるわけです。

それだけに、二人だけの食事の席では、女性の食事の態度に、二人の関係についての彼女の意識や願望が、如実に反映されることになるのです。

つまり、食事中の女性の様子を見れば、その深層の心理をうかがい知ることができると言っていいだろうと思います。

■女性の手料理には、心理的に特別な意味がある

こんな話があります。ある男性が、女性を郊外へのドライブにさそいました。その男性としては、午前中はいろいろなところを回って、お昼にはかねてから目をつけておいた有名なレストランへ、彼女を連れて行こうという算段だったとします。

相手の女性はバリバリのキャリアウーマンです、話を聞いていても、両親のもとで暮らしていることもあって、家事はいっさい母親まかせで、料理もめったに作らないらしい。

外食は大好きで、おいしい店と聞けば、何はさておき友人と食べに出かけていくという感じです。 そんな女性だから、こうした予定をたてておけば、きっとよろこんでくれるにちがいないと、その男性は思ったのもよくわかります。

さてお昼近く、とある海岸を散歩していて、これからその店へ行こうかと、その男性が声をかけようとしたとき、彼女はもってきた大きなバッグから、やおら何かをとり出したのです。

なんと、弁当の包みが出てきたわけです。開けてみると、おにぎりのほかに、ハンバーグやウインナー、野菜の煮つけや玉子焼きなどが、あれやこれやとつめられているではありませんか。

この男性は、もっていた彼女のイメージから、まさか彼女が手料理を作ってくるとは思ってもいなかったのです。きっと大部分は、母親が手を貸して作ってくれたものにちがいない。

こう考えた彼は、せっかくの弁当だけど、じつはこれこれこういう店に連れて行こうと思っていたところだから、食べるのはちょっとだけにしようと、気軽に彼女に話しかけたのです。

これが大失敗だったのは、いまさら言うまでもないわけです。彼女はとたんにご機嫌ななめとなり、その日のデートはすっかりぶちこわしになってしまったのです。

この男性は、手料理にみせる女心を、あまりにも知らなすぎたというわけです。 手料理は、”擬似家庭体験”からいえば、より強く”妻”をイメージさせるものであるわけです。

そうし手料理を相手の男性がおいしそうに食べてくれたとき、作った女性は深い充足感を覚えるものです。

自分自身が女性であるということを、それで再認識するとともに、自分の手料理を食べてくれた男性のために、自分は存在するのだという実感もわいてくるのです。

これは、バリバリのキャリアウーマンのようにみえ、男性的な行動をとっているかのようにみえる女性であっても、同じなわけです。

この女性にしても、たとえ母親の手を借りたとしても、朝早くからせっせと慣れない料理にいどみ、ひと苦労して弁当を作ったのは、彼に食べてもらいたい一心があったからなわけです。

 車の中でも弁当を見せたときの彼のよろこぶ顔を、ひそかに楽しみにしていたにちがいないのです。手料理は、女性から男性への無意識の愛のメッセージにほかならないわけです。

彼女は、妻の役を演じ手料理を食べてもらうことで、女性としてのよろこびを感じたがっているのを男性はきがつかんかったわけです。

■食事の席では、女性の指先が送るシグナルに注意せよ

 一昔まえは、見合いの席などでもじもじと恥ずかしがって、畳のケバをむしる女性もいたものですが、いまどきそんな純情な人はまずいないあいだろうと思います。

しかし、男女が二人で食事の席につくとき、畳のケバはむしらないまでも、あれこれと、手近な小物を指先でもてあそんでいる女性も少なくないようです。

喫茶店などでデートしている女性の中には、男性を前にして、無意識のうちにハンカチを広げたりたたんだり、ストローをくるくる回したり、やたらに意味もなく手近なものにさわる人がいるわけですが。

これはなぜだろうか。ふつうの女性にとって、他人の視線をまっすぐ受けとめるということは、気恥ずかしいものなのです。それがとくに自分の意識している男性のものであれば、なおさらそうであるわけです。

意識していればこそ、自分を全部は見せたくない。なんとかしてその男性の目を、自分よりほかのところへそらせてしまいたい。 深層にあるそうした無意識の気持ちが、やたら手近なものにふれるという動作になって表われるというわけです。

表面なにげない会話をかわし、あなたにとくに関心はないわという顔をしていても、深層心理はその食事の手つきに表われてくるものです。

つまり、女性が手近なものをしきりにもてあそぶようなら、相手の視線が女性にまぶしい、意識されたものになっていると考えてもいいのです。 食事のさいの無意識の行動には、ほかにもいろいろなものがあります。

たとえば、相手の女性が喫茶店で、まちがって男性のコップの水を飲んだとしましょうう。 ついうっかりの行動だから、何でもないことのようにも思えるが、じつはかならずしもそうではないのです。

「ついうっかり」という行動の裏には、女性の願望がひそんでいることが多いわけです。その女性の意識の底に、その男性と一心同体になりたいという強い思いがあれば、思わずその男性のコップの水を飲んでしまうことがあっても不思議はないのです。

 ”擬似家庭体験”の中で、本来の夫婦のように、同じものを口にしたいという願望が強かったと解釈することもできるわけです。

■男の前で、食事の注文や買い物の選択を迷わない女性には要注意!

もちろん、いっしょに食事をするからといって、いつも女性が男性に好意をよせているとは限らないわけです。やむをえずおつき合いで、あるいはまったく意識もせずに、男性にさそわれて食事にでかける女性もいるだろうと思います。

どういう気持ちでついてきているのかのひとつの見分け方としては、食事を注文する際の女性の対応のしかたを見るといいです。

たとえば女性が、男性と二人でレストランに行き、いざ注文する段になって、なんの迷いもみせずに料理の名まえを口にしたら、これはちょっと要注意であると考えるべきです。

もちろんもともと迷わない女性もいるだろうが、こんなとき、女性に対して、決断力があるとか、自分をイライラ待たせたりしないような配慮をしているとか、都合のよい判断を下す男性がいるとしたら、いささか楽天的すぎるだろうと思います。

一般に女性はよく迷うものなのです。何かにつけて逡巡するが、ことに何を食べるかについては決断がにぶいものです。あれも食べたい、これも食べたいと、メニューを隅から隅までながめ回して、それでもまだ決まらないことが多いのが普通です。

女性同士のグループだったりすると、そうして迷うこと自体を楽しんでいるふうがあり、みんなでメニューに首をつっこんで、なにかとかしましいわけです。

こんなときにも、女性は男性をまえにして、恥をかくことにはきわめて敏感であるのです。 こんなものを注文してヤボな女だと思われないかしら、こんなにたくさん注文したら大食漢だと思われないかしらなどと、いよいよ注文には慎重になるわけです。

かりに食べたいものがはっきり決まっていてもさそってくれた男性を意識していれば、そう簡単には注文を決められないものです。

さそった以上、男性にはすすめたい料理があるのかもしれないし、男性の注文する料理との組み合わせを楽しむこともできる。 そうした気づかいがあれば、二人でメニューを見ながら相談し、あえて一人だけ決めてしまうということはしないわけです。

二人でそうしたやりとりの時間を共有することに、ひそかによろこびを感じるであろうからなのです。一人でさっさと注文を決めてしまうような女性は、その男性など眼中にないと思われてもしかたがないと心得るべきかもしれません。

一見、主体性をもった行動をとっているようでいて、じつは相手の男性に対する無関心を表明しているようなシグナルは、このほかにも食事中の行動にさまざまな形で表われるものです。

たとえば喫茶店で二人でコーヒーをたのんだとしよう。 相手の男性を意識している女性は、手のコーヒーカップに砂糖を入れてあげたり、男性がカップを手にするまでは、自分のカップに手をつけようとはしないことが多いのが常識です。

しかし、男性に対してあまり親密になりたくないという気持ちをもっていれば、こんな場合でも対応はちがってくるのです。自分のコーヒーカップに先に砂糖を入れ、男性がカップに手をつけるのを待たず、さっさと飲み始めたりすわけです。

あえて相手に対して配慮をせず、二人の間に心理的な距離をおこうとするわけです。こうした女性の側からの防衛意識のシグナルが見えたら、彼女の好意はあまり期待できないと考えたほうがいいだろうと思います。

■デート中にまちがってコーヒーをこぼした女の屈折した内心

ただし、このように男性を無視したような態度をとる女性は少数派であり、多くの女性は、あまり気のない男性といっしょにいても、自分をよく見てもらおうと、それなりの気くばりを見せるものです。

こんなところが、女性の心理を見抜くうえで難しい点で、女性のこうした気くばりを自分に対する好意であると早合点してしまう男性も多い現実です。

さきほどの例のように、明らかに男を無視するような態度を示してくれれば、この女性には脈がないと察知できるが、 なまじ、表面上親切にふるまわれたりすると、女性の本心はまるで自分に無関心でも、鈍い男にはなかなかそれがわからないことになります。

こんなとき、何かのはずみにその 女性が見せたエラー(誤り行動)は、女性の心理をかいま見るひとつの手だてとなるのです。いま女性が、デート中の喫茶店で、思わずコーヒーをこぼしてしまったとしよう。

あわてて手近なおしぼりでテーブルをふき、「ぼんやりしてたの。ごめんなさいね」と、笑いながら言い訳をして、男性にもコーヒーがかからなかったか気づかってくれる。

こうした行動を見ながら、ただやさしい女の子だなとだけ感じていると、ときには鈍感のそしりは免れないのです。

人間のみせるエラーは、じつはその人間のもっている深層心理の表出であるということを指摘したのは、フロイトです。この場合、彼女の失敗は、偶然とだけ言い切れないこともありうるわけです。

たとえば、相手に対する気づまりを感じているような場合には、「ついうっかり」 その場の雰囲気をこわすような行動をとることがあるのです。

深層におけるその男性への拒否の気持ちが、ふだんの表面のよそおいを突き破って、何かのはずみに、失敗という形をとって表に出るというわけです。

何気ないエラーの中にも、そうした女性の本音が隠されていることが少なくないので深層をよく見極めることが求められます。

■ 女性の空腹は、性的な“空腹”につながる

ところで、食事に表われる女性の深層心理は、こうした”擬似家庭体験” からだけ説明できるわけではありません。一方では、生命を維持するための本能的行動という側面もあるのです。

食べるという行為のさいには、ふだんの虚飾がうすれ、より生身の女性の姿もでてくるのです。食べている姿から、その育ちが知れるというようなことは、よく見受けられることことです。

食事に対する女性心理の奥底には、興味深いもうひとつの欲求がひそんでいるといわれています。それは性に対する欲求であるとみることができます。

藤子不二雄のマンガだったと思うが、こんなSFまがいの大人向け短編があることを思い出しました。

ある男が朝めざめると、世の中の価値観が一変している。それまでの、性と食に対する羞恥心が逆転していて、食事は恥ずべきもの、セックスは人前で堂々とすべきものとなっている。

子どもの絵本はセックスにあふれ、食事は人目にかくれてひっそりと行なうというわけだ。このマンガは、心理学的にもうなずける点が多いのです。

心理学的には、食べるという行為は、そのままセックスへのつながりを暗示しているからです。 いうまでもなく、食欲と性欲は人間の二大欲望ですが、 この二つの欲望は、微妙におたがいに影響し合っていると言われております。

一般に、食欲が満たされないと、種属を保存しようという欲望、つまり性欲が強くなり、逆に性欲が満たされないと、食欲が強くなるといわれているからです。

谷崎潤一郎は、その性文学において、しつように食べる場面を描いているのですが、人間の心理の奥深いところでは、食べることとセックスとは、相おぎない合っているのです。

また前に述べたように、食べるという行為は、生命を維持するための本能的な行動だから、ふだんの生活の中で身につけた社会的、文化的虚飾は、食事の際にはいくぶんでも稀薄になるというわけです。

食べているときは、本来の欲求にしたがった性的人間という側面も出てくるというわけです。雰囲気のあるレストランで、気の利いた会話をかわしながら空腹をいやす。

男と女の ”擬似家庭体験”は、女性の性的願望をかぶらせていくのに、さらに一役買うだろうと思います。食事をするときのような、原始的な欲求に虚飾をはがれた心理状態のときには、女性の防御は弱くなるものなのです。

食べることとセックスとのつながりを、女性の深層心理はひそかに感じとり、その暗示にひきずられる。食事のときが、女性をくどく絶好のときといわれるのにも、この意味からすると一理あるということになろうかと思います。

■食べ方、飲み方から女の本性を見抜く実例集をピックアップしてみました

※女性が空腹を訴えるときは、性的にも”空腹”であることが多い。

※酒に強いのに飲もうとしない女性は、自己防衛的で、男との深い交わりを避けようとしている。

※手料理を食べさせたがる女性は、その相手に”食べられ”たがっている。

※男の前で食事の注文や買い物の選択を迷わない女性は、あまりその男を重視していない。

※口でものをもてあそぶクセのある女性は、いつまでも幼児的な欲求不満を持ちつづけている。

※女性が話の最中にスプーンやストローなど、小物をもてあそぶのは、相手の視線から自分を守りたいという無意識の願望の表われ。

※デート中の喫茶店で、女性がまちがってコーヒーをこぼすのは、内心で相手と別れたがっていることがある。

※喫茶店で、まちがって男のコップの水を女性が飲むのは、”結婚したい” のシグナル。

※女性が自分のコーヒーカップに砂糖を先に入れるのは、相手に対する拒否の表われ。

※食べたはしから、お皿をかたづける女性は、損得勘定が発達している。

それでは次回は、女の”視線”に表れる口より雄弁なメッセージ と題してのお話をしてみたいと覆います。

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