女の”化粧” は女の心を映す鏡である

■ 化粧の厚さと女の知性は反比例する ?

もうずいぶん前の映画の話ですが、ハリウッド映画の全盛時代には、グラマラスな肉体こそが美女の代名詞とされていた時代がありました。

実際、マリリン・モンロー、ソフィア・ローレン、ブリジッド・バルドーと、当時の人気女優を並べてみると、いずれも豊満このうえないボディの持ち主ばかりでした。

そして、ちょうどそのころ、「乳房の大きさと知性の高さは反比例する」という、ショッキングな研究が発表され話題を呼んだことがありました。

その研究のせいか、マリリン・モンローなどは、その役柄も手伝って、”頭の悪い女”の代表のようにされてしまった話が浮上したものでしだ。

こうした、乳房と知性の相関関係と同じようなことが、化粧についても取り沙汰されているような話が実はあります。

つまり、「化粧の濃さと知性や育ちのよさは反比例する」というわけなのです。

しかし、マリリン・モンローが、その外見の印象とは裏腹に、実際にはかなり高い知能指数の持ち主であったことでもわかるように、化粧についても、単にそれが濃いか薄いかだけで、女性の知性や育ちのよさまでうんぬんするのはいかがなものであろう。

また、これは夜の巷で美しく化粧した女性たちと遊びたわむれ、大金を使いはたしてしまった男たちのからの連想なのだろうが、「厚化粧の女は”悪”である」という俗説を、いまだに信じている男性もいるようです。

かって、私の知人に、一人の田舎出身の女性がいました。現在のように、マスコミも発達していなかったし、パソコンやスマホもまだ無い時代だったから、その女性はまったくすれていず、よい意味での朴訥さにあふれ、性格がたいへんによかったのです。

ところが、こうした彼女も、休日になるとその外見が一変したようなのです。いったいこれが同一人物かと、目を疑うほどの厚化粧で外出するようになったからです。

彼女の変身ぶりに疑問を抱いた私は、ある日、「失礼ながら」と、その厚化粧の理由を尋ねてみました。 すると彼女は、「映画や雑誌にでてくる女の人は、みんなこうでしょう」と答えたのです。

要するに、田舎から上京したばかりの彼女は、化粧に関する情報にうとく、そのため、女優やモデルのやり方が一般的なものだと思い込み、これを一生懸命真似ていたというわけなのです。

単に”認知構造”が違うために起きた現象であり、”悪”とはまったく関係がない行為であったわけです。

反対に、こんなケースもあります。以前私の愛人(大学准教授)が、ある学術雑誌の編集長をしていたときの話です。 彼女は、あるとき一人の他の大学の女性学者に原稿を依頼したのだそうですが、

彼女は、一見すると化粧もほどよく、それが知性と教養の高さをうかがわせ、いかにも実直そうな学究の徒といったタイプに思われたのだそうです。

ところが実際には、これがたいへんな食わせ者であったのだそうです。彼女は、アルコール中毒患者に表われる、いわゆるコルサコフ症候群的な傾向を持つ人間で、健忘症、嘯言症、作話症が顕著であったそうです。

具体的には、見たこと聞いたことを端から忘れ、反面、つぎからつぎへと根も葉もないつくり話をする。 私の愛人は、彼女のこの性癖に気がつくまでのあいだ、そのペースに巻き込まれ、すっかり振りまわされてしまったとボヤしておりました(笑)。

■ 化粧は女の深層を映す鏡

ここで取りあげた二つのケースはいささか極端ではあるのですが、いずれにしても、化粧が厚いか薄いかだけで、その女性の内面までおしはかるのは、きわめて危険であることは、十分におわかりいただけたと思います。

ただ、この化粧の程度から、女性の人生観の一般的傾向ぐらいはつかむことができるのではないかと思います。

たとえば、広く知られるように、大学卒といった高学歴の女性ほど、結婚と女の幸せをイコールとは考えない傾向が強いようです。

そして、ある調査によると、大卒者の多くは、化粧もおしろいに口紅程度で中には全く化粧なしというのもめずらしくないという。逆に、中・高校卒業者には、かなり手の込んだ化粧をするものが多く見られるそうです。

そして、こうした女性の結婚に対すあこがれや願望は、大卒の女性にくらべて、かなり高いということでもあるようです。すでに指摘したように、以上のことは、あくまでも化粧から見た女性の内面の一般的傾向にしかすぎない話になります。

しかし、十人十色というように、化粧のしかたには、個々の女性で当然ちがいがでてくるわけです。であれば、化粧にも、その女性の性格なり心理状態なりが色濃く反映されているという可能性も、けっして否定できないわけです。

先に私は、単に化粧の濃い薄いだけでは、その女性の内面ははかれないと言いました。では、この化粧の程度が、ある時々で変化をするといった場合はどうであろうか。

一例をあげるなら、つぎのようなケースがそれにあたるのではないかと思います。 現在つき合っている女性の化粧が、以前より急に濃くなったとしてみましょうか。

これを見た男性の中には、「彼女は、自分をもっと美しく見せようとしているな」と、それが彼女の単なる変身のアピールと解釈する人がいるかもしれません。

だがそれは、いささか甘い考えといわざるをえないのです。もっと深層にまで踏み込んで、彼女の変身の意味をしっかり読む必要があるからです。

このような行為にでる女性の心の中には、相手の男性に本心を見透かされたくない、という強い願望が存在していることが往々にしてあるからです。

そうしたガードの気持ちが深層にあるからこそ、それを隠すため、彼女は急に化粧を濃くしたのではないかとも受け取れるからです。

勘ぐるならば、彼女には、現在つき合っている男性のほかに、もっと心をひかれる恋人ができた可能性も、十分にあるわけです。

服装がそうであるように、女性の表層に示された装いの多くは、自我の”延長”にほかならないという理論もあります。

つまり、女性は、内面の自我を覆い別のものに見せるため、何らかのものを使って、表層を装おうとするわけですが、その行為自体が、すでに彼女の深層を映しだす鏡の役割をはたしていることになるからです。そして、今ご紹介した例でもおわかりのように、化粧もその例外ではないというわけです。

■ 男まさりの女は化粧でわかる

これも愛人(准教授)から聞いた話なのですが、最近、大学の女子学生のあいだで、「眉を太く描く」 化粧法が流行のきざしを見せているというのです。

火つけ役はファッション雑誌で、 「自立した女性」のイメージを定着させるためのメイクというのがうたい文句なのだそうです。 これを聞いた私は、この化粧法が、一世を風靡するほどの大流行には至るまいと思ったのです。

太い眉からまっ先に想起されるのは、”男性的”というイメージがあります。だから、眉を太く描く化粧法を好む女性の中には、男性の仲間と一緒にバリバリ仕事をこなしていくタイプが多いようです。

また、それぐらいの気構えがあるからこそ、眉を太く描いても似合ったのではないかと思います。しかし、ファッショソ誌の提唱する「自立する女性」を演じきれる女性は少ないのでないかと思われます。

結局、眉だけが顔全体から浮き上がり、自分には似合わないと投げだす女性が続出するはずであろうと想像されるからです。

もし、バランスを崩してまでもこの化粧法をつづける女性がいたとしたら、彼女の深層には、男性と張り合おうという気持ちだけは、あふれるほどにあると考えよかろうと思います。

このような男まさりの性格は、眉だけでなく、唇の化粧にも表われているようです。最近は少数派に属するようですが、唇からはみだすほど真っ赤に紅を塗った女性がおります。

かなり無神経な化粧法ではあると思うのですが、こうした女性にかぎって、”頭で化粧をする”タイプが多い用です。 化粧は、自分の美しさを表現する有力な手段ですから、女性たちは自分にふさわしいメイク法を工夫します。

ところが、 唇を真っ赤に塗るような女性の多くは、美しさの演出というより、「女は化粧をするもの」という観念が先走ってしまい、化粧に不可欠な”自分の感覚”が、まったくのお留守になっていると言わなければならないからです。

化粧に表われたこうした柔軟性のなさは、その女性の自我の強さを物語るものだと言えるかもしれません。

おそらく、彼女の男性観も化粧同様硬直しており、実生活ではかなりの”男まさり”で通っているはずであろうことは想像出来ます。

■ 女は鏡を見ることで、自我の調節をはかろうとする

化粧から女性の深層を読み取るというと、誰もがメイクアップ後の女性の顔を思い浮かべがちなのですが、かならずしもそれがすべてではないようです。

たとえば、鏡はどうだろう。化粧をするさい、鏡を使わない女性など一人もいない。 したがって、鏡は、いわば化粧の大切なパートナーということになるわけです。

そして、このパートナーは、化粧から女性の深層を見抜く場合に、重要な手がかりを与えてくれるのです。

以前見たあるアメリカ映画に、こんなシーンがありました。西部の田舎町で細々と牧場をやっている一家のところへ、十年ぶりに娘が戻ってきました。

彼女は父親と折合いが悪く、高校を卒業すると同時に、家出同然に家をでていってしまったのでした。 現在彼女は、ロサンゼルスでスーパーマーケットのチェーン店を持つ夫と、裕福に暮らしています。

そして、老いた両親と和解をするために、その町へ帰ってきたというわけです。 ところが父親は、「十年前に娘は死んだ」というばかりで、彼女を家にいれようとはしないもでした。

母親は必死にとりなすのですが、父親の態度は、ますます固くなるばかりでした。

我慢に我慢を重ねていた彼女も父親のこの仕打ちについに勘忍袋の緒を切り、「私もこれからは親はいないと思って暮らす」と捨てゼリフを残して出て行ってしまうわけです。

彼女は泣きながら、牧場の中を歩くのですが、ふとそこを流れる小川に目をやり、そこで立ち止まる。 この場所は、幼いころの彼女のお気に入りの遊び場であったのです。

彼女は、川辺に座り小川の中をのぞき込む。 小川には、涙で化粧も崩れた自分の顔が映っている。彼女はじっとその顔をながめていたのですが、そのうち幼いころの自分の顔がダブって見えてくる。

彼女は涙をふく。 そして立ちあがり、もう一度、家に戻っていく。 家が近づくにつれ、玄関のドアの前で、心配そうにこちらを見ている両親の姿が目にはいる。彼女はついに走りだした。

私が、長々と映画のストーリーをご紹介したのはほかでもないのですが、 それは、小川をのぞき込む娘に、鏡を見る女性の深層心理が、はっきりと表われているからなのです。

一般に女性は、喜怒哀楽の感情の波が高まると、意識的か無意識的かにかかわりなく、しばしば化粧室に立つようになるものです。

そして、鏡の前で化粧や身づくろいをととのえる。しかし、この行為そのものは、単なるつけ足しといってよいのではと思います。真の目的は、鏡に自分の姿を映しだすことにあるからです。

女性は、そうすることによって、高ぶった感情を抑え、自我の調節をはかろうとする場合が多く見られるからです。女性がそれで平常心をとり戻すことは、先の映画に見られるとおりなのだと思います。

もっとも、同じ鏡を見て化粧を直すのでも、次のようなケースはどうだろうか。女性の中には、ごくまれに、男性の前でも鏡を取りだし、化粧直しをするものがおります。

化粧室がないような場所ならしかたないということもあるのですが、これがたびたびとなると、男性はいいかげんうんざりしてくる物です。

こうした女性は、せわしない化粧直しの仕草を一見してもわかるように、神経質なタイプであると言えましょう。心の中に何か不安の種があると、自分の体をさわっていなければ、どうしても落ち着かない。

自分の弱さをこのようなやり方で補うことを、心理学的にいうと、「自己慰安」「自己親密性」ということになるからです。

男性をまえにしているにもかかわらず、”自己タッチ”を抑えることができない女性は、その深層に、他人に対する抜きがたい不信感を持っていると考えることもできるわけです。

■ 化粧のしかたから女の本性を見抜く実例集をピックアップしてみました

※女性が鏡を見るのは、高ぶった感情を静めるためである。

※唇を真っ赤にしている女性は、男まさりの性格。

※頭で化粧する女性は、男まさりの性格。

※眉を太く描く女性は、男と対等にはり合おうと思っている。

※真っ赤に塗った唇を男の前でなめる女性は、性的に興奮している。

※化粧の濃い女性は、仕事よりも結婚というタイプ。

※男の前で急に化粧の濃くなった女性は、本心を隠そうとガードをはっている証拠。

それでは次回のお話は「”食べる・飲む”行為に潜む女の願望と本能」と題してのお話をしてみたいと思います。

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